想い出にすがりつつ

 ニフティに別れを告げて、ブログの場所を変えました
変えるのにあたって、僕の手による過去のエントリに目を通していたのですけれども、最初の書き込みの日付を見て少々驚きました。
2005年の1月なのです。
こういった事に関しては全く長続きしない性質である筈の僕が、よくもまあ四年近く続けているなと、そりゃ老子ネタもやらなくなるよなと、そういう知らず知らずの変化に対する驚きを味わっています。

 全く“手紙は必ず届く”を体現せんばかりの行いです。「でもきっと実際には届いてないよ。例えだよ?あれは」とラカンの声が聞こえる様な気がします。
「昔お前、俺の名前出してる割りに人間中心主義っぽかったじゃん。今はむしろアンチっぽいじゃん。何その変節。」と老子の声が聞こえる様な気がします。
「『釈迦は最初に構造主義を思いついた人だ』って言い切ろうかどうか迷ってるだろ。いいんじゃん言っちゃって。鼻で笑われるだろうけど俺関係ないし」とお釈迦さんの声が聞こえてくるような気がします。

四年をかけた自身の変節と、真っ白なものに何を書き始めたらいいのかという戸惑いとで、僕はこうして何も、意味すらも考えずにただキーボードを打っているわけですが、どうなのでしょう。今僕とキーボードとディスプレイとを結ぶ三角のゾーンの中に浮遊するシニフィエは、誰かが受け取る事になるのでしょうか。普通に考えればこうして吐き出された特に価値の無いシニフィアンの下敷きになって終わるのでしょうが、しかしながら僕はささやかな夢想を禁じ得ないのです。暗号は解かれるかもしれないと、そう思ってしまうのです。

ところで僕は、こうして四年もの間、自分で思うほど支持されないであろう文章を書きなぐりながら、密かに望み続けてきた事があります。
それは“ナントカ主義”と呼び得るものを打ち立て、一部の物好きに含み笑いを齎すと言う事です。
できれば勘違いはしないで頂きたいので、一応付け加えますが、それは決して“偉大な”ものであれと望んでいるわけではないのです。含み笑い程度で結構なのです。
 例えば水道橋の駅のホームかどこかで、自分と同じように無表情な群集に向かってそっと小声で罵声を浴びせた時、僕のこのゴミのような文章をちらと思い出し、含み笑いをする。そんなところで結構ですし、僕の力ではそれが精一杯でしょう。他人のポストに手紙を捻じ込むようなことはいたしません。いや、時々気まぐれにそうするかも知れませんが、今はただただ、虚空に向かって伽藍を積み上げようと言うそんな情念ばかりを抱いている次第です。

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ものぐさ族は大移動する


あー、このブログの引越し先を確保しました。

ここら辺になってます。

まだ何も書いてませんけどね。
ここは今年中になくなる予定であります。

Movable Typeじゃないので(独自タグとかがウザかったからやめた)、これまでのログを簡単には写せないでいます。
や、とっととテキスト化してどうにかすりゃいいんですが、読み返しちゃってまして、ええ。

僕の書いたものはほとんどゴミみたいなのばっかりなんですけど、時々寒気を感じる冴えた文章があったりとかいたしまして、それに加えて皆さんの冴えたコメントが面白くて、過去のアルバムを見つけて見入ってしまっているような、まさしく“引越し”作業の様相を呈しております。
そういった“捨てがたい類の”書き込みやありがたいコメントをどのようにして残すかというのが目下、懸案事項であります。

 これからしばらく、新しい場所とここと同時に更新していこうかなと思っとりますので、もし「もう少し付き合ってやるか」なんて優しい方がいらっしゃいましたら、ブックマークやらRSSリーダやら、新しいものにしていただきたいなと。んで、末永くツッコんでいただきたいなと、そう願っておるわけです。

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雑記081019


 商売がしたくなった。
どんぐり屋さんになりたい。
山でどんぐりを拾ってきて、リスに10円で売る。
10円玉を抱きかかえてどんぐりを買いに来る客っていいと思わないか?

 カラオケの楽しさがわからない。全然わからない。運悪く付き合いで同席せざるを得なくなった時、僕にとってそれは苦痛でしかない。
何故マイクを持つのかもわからない。歌いたいならマイク持たないで普通に歌えばいいじゃん。ってか君ら目立ちたいならバンドでもやれば良いじゃん。
あー、もっと言うとカラオケを(聞くのも歌わされるのも)強要する神経もわからない

あ、書いてて思いついたんだけど楽器をやる人のためのカラオケボックスなんかあったら良いかもね。ギターのトラックだけ入っていない曲を流してて、そこにギター入れるの。他にベーシスト用とかキーボードプレイヤー用とかがあっても良いかも。それだったら僕も行くね。

あーっ、関連して思い出してなんか妙にムカついてきたんだけど、任天堂Wiiなんかで変なコントローラーつかって楽器弾く「フリ」だけして満足するようなソフトがあるっぽいじゃない?山手線車内の液晶CM画面で見ただけなんで、そんなコンセプトかどうか良くわからないんだけど、まぁ、そういうコンセプトであるとして言うとだね、
 君ら「フリ」だけして、巧く弾けない時の「うぬぬ!」感というか“困難だからこそ満足な音が出せた時に強烈に嬉しい”っていう楽器特有のアレなしで面白いのか?
といいたい。そのソフト買わずに楽器買えばいいじゃんか。
全然理解できない。なんか寂しい。

まぁとりあえず、こんな文章を読んでいらっしゃる方は僕をカラオケに誘わないようにお願いしたい。

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 「ナントカ病に罹り易い原因を特定してうんたら」とか、ゲノム関連の話が出てきたりしてニュースサイトをにぎわせたりするけれども、ああいう研究のサンプルって無作為に選ばれるんだよね?だよね?
なんとなく昔から妄想してたんだけど、世界中の遺伝子研究者が無作為にサンプル提供をお願いして回った末に、「自分も周囲もてっきり同じ人類だと思っていたんだけど実はネアンデルタール人の生き残り」とかそんな人を発見しちゃったりすることって有り得ないんだろうか。数十億人いればそんな人が百人単位でいてもおかしくないと思うんだけどなぁ。


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 今更なんだけど陳舜臣ってすごいと思う。
史書に書かれている事とフィクションの部分をごっちゃにして書いているし、その双方を明確に書き分けているわけではないのに明確にその違いがわかるんだよな。史書に書かれている部分かフィクションなのかが曖昧なのに明確にわかるって言うのは、地味にスゴイなと最近思う。

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 吉川英治が水滸伝を最後まで書き上げてから亡くなっていたら、北方謙三の出番はなかったと思う。
で、どっかの週刊誌のお悩み相談にこんな相談が寄せられたに違いない。

問「私は小説を生業にしていまして、最近むしょうに水滸伝を書きたいのですが吉川先生を超えるものを書く自信がありません。どうしたらいいのでしょうか」

答「ソープランドへ行け」

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課長 仏陀ヶ谷 第一話 色即是空とは

瞑想中



結跏趺坐中


ラカンさん


いささか先生


そしてラカンさん


更にいささか先生


ラカンさん必殺モーション開始


シェー


マ


ラカンさんため


いくぜ必殺シェーマ


獲物としてのいささか先生


L!!


シェーマLが直撃


そして原始人


先生大ダメージ


彼岸に逃避行


無用の用がすれすれで用の用となる。表裏一体。


仕事してください課長。


つづく

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思いつきメモ08/09/15


はい。今週の思いつきメモ。


 明治から一人の天皇につき一つの元号という事になっている。
だから何かあっても改元されない。
けれどもあれだ。人情として「何か良くない事」があったり「スゲーいい事」があったりしたら心機一転、何か象徴的なものを変えてみたくなると思うんだ。
でも元号は変えられない。

で、その「なんか変えたいよね」的な衝動は、首相に来ているんじゃないのか、と最近ぼんやり思う。「代えろ代えろ」的雰囲気がどーんと押し寄せて首相代わっちゃうの。
“一人の天皇につき一つの元号”を試しにやめてみたら、首相が頻繁に代わらなくなってそのかわりに頻繁に改元したりしてな。や、あてずっぽうで口からでまかせで書いてるから真面目に受け取らないで欲しいんだけどね。

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 こう、断片的な思い付きばかりうだうだと書いていると、時々すごく「構築的」な何かを書いてみたくなる。「ロンブン」めいたやつ。
そろそろ「モテるとは一体何事なのか」という事についてまとまった「ロン」という形で書いてみても良いのではないかな、と思うようになってきた。僕が(見事に嫁をもらったものの)モテないゆえに思春期から考えてきた事を今思春期の、愛すべきおばかさんを“考えとおす”不毛な荒野に誘い出すために(笑)。まぁ、考えてたらモテないままなんだけどな(大笑)

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 いつかどこかの企業の面接にいった際、「数字は嘘をつかない」というフレーズを給与の算定基準に関して口にする馬鹿がいた事を不意に思い出した。
大馬鹿者。その場合嘘をつかないのは式であって数字じゃない。この程度も理解できないやつらばっかりなんだよな。社会って。

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 ある暇な時間、ある人が急に「タイムパラドクス」について言い出した。
きょうびそんな話を耳にするとは思わなかったので噴出してしまった。
曰く「考えても結論でないんですよねぇ(真顔)」だって。
 あー、所謂「タイムスリップして先祖を殺したら自分は消えるか」的な馬鹿話である。
んなわけねぇだろ!
「原因があって結果がある。だからタイムスリップして原因をつぶせば結果も消える」という事が可能であるためには、時間が過去から未来へ絶対的に一方通行で無ければならないというのが大前提だろう。
んなら、タイムスリップして過去に戻れた時点で“大前提”がどっか行っちゃってるわけだから、この話がパラドクスとして成立しない。まぁ、こんな事真顔で言ったらカドが立つからヘラヘラしてほっといたけど。

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 例えば僕がAさんを口説いたとする。真顔で片膝をついて「ジュテーム」とか言うて。
2~30分くらい頑張って、めでたく性行為という事態に及んだとする。
間抜けな僕は、タイミング悪くあることに気付いてトラウマを抱える事になる。

僕は、Aさんの性的な魅力を欲望して口説いていたのであろうし、その後ウフーンな状態に至って、僕がウフーンな体勢にあるのは、Aさんの性的な魅力という部分的な対象に対してであるのであって、Aさんまるごと本人に対してではない。
「Aさんまるごと全体を欲望しているのだ」とてっきりそう思っていたにもかかわらず、実は「Aさんの性的な魅力だけを記号として(或いはモノとして)切り取って認識していなければ」性的な欲望を抱く事が出来なかったのではないか、という問いが僕を責め始める。

そして更に「Aさんの性的な魅力」そのものは特別なものではなく、その他大勢と大して変わらない偶有的である事に気が付き、実のところ「Aさんの性的な魅力」そのものに対して欲望しているのでもない、という事に気が付くのだ。つまり僕が認識する「Aさんの性的な魅力」がAさんそのものから湧き出ているのではない、という事だ。
そして僕はむにゃむにゃと呟き始めるのだ。
「一体僕は何とウフーンな状態なのか」「僕は一人の人間をモノとして認識しているのか」等々。

かくして僕の浮気(笑)は、完璧な失敗に終わるであろう。それは容易に想像が付く。

これを裏側から言おう。
一人の人間をまるごと全体欲望して、それを達するのはこれ以上なく重いことなのだ。
「性的な魅力」をフェティッシュな形で切り取る事をせずに、しかも性的に欲望するという事は、ある意味で異常な事態だと言っていい筈だ。
これを僕は(美化された像としての)「キリスト的自爆」と呼びたい。

「●●をしてあげるから代わりに○○をしてくれ」という「“一定の条件下における”便宜のやり取り」、ここで言うと「性的な魅力」のやり取り、またはカント風に言うと「性器に関する独占契約」を「キリスト的自爆」によって中断する事。つまり“一定の条件下”という項を自爆によって吹き飛ばす事が出来たなら(或いは出来ているのなら)、キリスト的な次元での「愛」と、愛欲の次元での「愛」を直結させる事ができるのではないか。

や、直結したからって何ってわけじゃないんだけど、直結したら次に進めたりしないかなー、という思考のタヌキ掘り。

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僕を悩ますコーン

 風邪ひいて倒れた。
熱、咳、鼻水、関節痛というオーソドックスなもの。
昼間は意識朦朧として大変であった。

ところで、ハンバーグなんかにつけあわせとして付いてくるような、トウモロコシの粒々に対して苛立った事はなだろうか。フォークですくうのはなかなか大変であるし、ナイフとフォークの双方で何とかすくうか、粒が大きければフォークで刺すか、大体皆さんそんなところだと思う。
 世の中にはどんどん「便利グッズ」が出てきているのに、どういうわけか“コーンすくい器”はないのである。
「これは不便でいかん!」と思いつつ、熱を出しながら考えたのであるが、どう考えても“吸引”しか手は無いようなのである。
しかしながらファミレスなんかで「浣腸器みたいなやつでコーンを吸引して口の中に」というのを思い浮かべると、どうにも汚らしいので困りつつ、同じく風邪でぐったりしている嫁にこの苦悶を打ち明けてみたところ、「貼り付けて口に運ぶ方向で」などと言い出した。曰く「お餅みたいなのでコーンをひっつけて食う」。
 いや、まて。
それは主食が増えるだろう。

むしろつけあわせを付けずにパンで挟んで出せば良いじゃないか。あ。

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思いつきメモ(08/09/07)

 例によっておもいつきを列挙。


 テレビだったかラジオだったか忘れたけど竹内まりやの「毎日がスペシャル」が耳に入り、カチンときた。
普段ならこんなウソ歌みたいな曲を気に留めることはないのだけれど、虫の居所が悪かったのか、通勤電車の中で(穏やかに居眠りをしているフリをしながら)内心荒れまくっていた。

JASRACとかが来たらウザイので歌詞はリンク先に。
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/234843/Y013793

何かが「スペシャルである」と言うには、他の何かと比べなければならない。
他人の毎日だろうか。それとも過去の「スペシャルでない」毎日だろうか。
他人の毎日と比べているのなら「ほっとけ馬鹿」と言いたくなる。
一方で「スペシャルでない」毎日と比較して「毎日がスペシャル」だと言い出すのだとしても、それは間違っている。
何故なら「“今からいつまでの期間”、毎日がスペシャル」と期限を明言していないからである。つまり無期限だ。(“しばらくの間”と言うなら話は別だが)

今から死ぬまで「スペシャル」であるとする事は出来ない。それは単に「生活が豊かになった」だけだからスペシャルではない。

つまりこの歌詞は“スペシャル”であることを歌っている限り、言外に「スペシャルな毎日から将来的に転げ落ちる」という事を言っているのだ。

不吉な歌。

■■

 都立家政という駅名がある。
西武新宿線だ。
この駅名を車内のアナウンスで聞くと、フビライに登用された契丹族の政治家の名前みたいに聞こえるね。
「屠律珂靖、罷り出でました。大ハーン」
みたいな。

■■■

 社会的な合意に基づいて行われている事。
例えば、どの会社でもやっているような一連のルーチンや、所謂ビジネスマナー的なやり取り、形を重視した恋愛、或いは結婚、宗教儀式など、それらは全てパロディなのだ。
そしてもっと悪い事は、僕達がそのパロディのパロディを無自覚に行っている事だ。
自らの行動をパロディに照らし合わせて「律して」いる。悲しむべきかな。

■■■■

 このところ、バンド用の曲を書くのに時間を割いている。
久しぶりでとても楽しい。悪ノリしてしまう。
僕の悪ノリのパターンの一つに“バッハ的”なコード進行を使うというのがあるのだけれど、これがあれだ。古くはリッチーブラックモアやらイングヴェイなんかに使いまくられているのだけれど、ちょっとばかり進行パターンに捻りを加えると気持ちが悪くて良いぞ。

例えば、よくあるパターンとして|AF|GE|FD|CA|ってな感じの進行があったとする(今書いている曲に使っている)。単純に考えるために各音は二分音符として考えてちょうだい。
ここにそれぞれEFDECDAEという順序でルート音を据えた、如何にも「イングヴェイ好きで、ギターなら四六時中スイープで弾いてばっかりいます!」っていう感じの「基本的に16分音符の連続(♪=140)」みたいなフレーズを据えると良い意味で気持ちが悪いぞ。
|AF|GE|FD|CA|と
|EF|DE|CD|AE|の双方が何度差であるか数えてみるとシンプルに納得してもらえると思う。

で、ベースラインにも捻りを加えて|AF|GE|FD|CA|の六度下で進行させてみたりとか、っていうのはやめといたほうがいいぞ。それは気持ちが悪い上にベース引く人の手首の関節が抜けてぷらーんってなるよ(速いパッセージ前提:笑)。

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あ、そういえば前のエントリへの脂さんからのトラックバックの記事中に「というわけで巷のラカニアンたちよ、この記事を叩きたまえ。」という一文があって、そんなことだから僕はこう、わくわくしながら叩きに来るのを待っていたんだけど、こないよ!
ってかあれか。「この記事」というのは僕が載せた論文の事を指すのか。
わくわく損か?

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思いつきメモ(2008/08/29)



 ラカンなんかがその<現実界><想像界><象徴界>の関係を表すのにボロメオの輪を良く使うけれども、その辺の仏教(主に天台宗)でよく出てくる概念“十界”は、それそのものではないけれども、かなり親和性のあるものだろう。
ノリとしては同じはずだ。
いや、ただそれだけ。

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 この場において私怨をはらさせてもらう。

IE(特に6以前)ブラウザチェック用ではなく使っているやつは痔になれ。血出せ。座りづらくなれ。

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 VBってウザいな。チクタクバンバンをやっているような気分だ。
他人が書いたヤツを元に手を加えたりしていると「そんな動きをするとは思わなんだーっ!」という事が多々ある上に、「どこがおかしいのか」探すのに時間がかかる。
やだ、これ。ウェブデザインかコーダーに戻りたいと最近しばしば思う。

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 こんな論文を見つけた。

ネグリ=ハート、ラカン、カントの狭間で~グローバル資本主義下における<協働>の構成~

永澤 護 2005


タイトル見た瞬間ニヤっとした。すげイマ風じゃね?
眼精疲労ゆえにまだ読んでないんだけどね。

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 何故日本は一夫一婦制なのか、という事について、理由を一つふと思いつく。

現行の一夫一婦制の下では、基本的に「納得のいく相手を一人だけ選んで結婚してよい」という事になっている。

まぁ、納得のいく相手と遭遇する可能性なんかは人それぞれだろうけれども、例えば“5000人に出会ってそのうちの一人が納得のいく相手だった”としよう。

もし一夫多妻がOKだとしたら、こう考える人も出てくるかもしれない。
「納得のいく一人よりも、それぞれどこか納得いかない5000人を相手にするほうがいい」
まぁ、そうだよね。人間には良い所も悪い所もある。みんなで補い合えば「1/5000」よりも素晴らしいかもしれない。

5000人というとちょっとした事が出来そうだ。
パジェロ転がしたりとかな。ゴロンゴロン。
5000人いれば余裕だろうな。丸太とかロープとか滑車とか使って500mくらい先までパジェロ転がしたりとかな。所有者が激怒しながら向かってきても5000人いれば数の力でなんとでもなるよね。

物凄いイケメンだったら即物凄いヒモになれそうだね。
5000人働かせて1万円ずつ徴収すれば月収5000万のヒモってことになるね。

パジェロが転がらないために、ヒモなのに月収5000万って事にならないように、一夫一婦制なんだろうな、と思う残暑厳しい今日この頃なんだな。


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おもいつきメモ

 んー、なんかね。
「あ、これブログで書こう」とか思ってもね、書いている最中に「あ、やっぱこれ違うくね?」なんて思ってね、結局書かないまま更新してなかったりとかね。ふふーん。
でもアクセスログをのぞくと、ちらほら見に来てくれてる人がいたりとかね。
だから「なんか書かないとなー」なんつってね。うん。

ということで“わざわざ書くほどまとまってないけど”エントリね。ちょろっと書くからね。ちょろっとのぞいてってね。うん。

■『そんなに言うなら全員派遣社員にしちゃったらどうよ?』

 こう、「日雇派遣とかやめようよ」的な話が政府やなにやらからチラホラ聞かれるけど、日雇を禁止にしたところで『格差』って埋まらないんじゃないのかしら?
だからここはそんな付け焼刃みたいな事はやめていっそ「正規雇用原則禁止」のほうが良いんじゃないかとボンヤリ思ったりするわけよ。

 っていうのは、例えば派遣先が派遣会社に払うお金が 2500円/時 だとするでしょ。
派遣会社はそこから四割くらいとって行ったりする訳だよね?
それだと「派遣社員」は大した時給をもらえないわけだからモチベーションがあがらない上に、派遣先の会社は「こんなに払ってんのにこんな程度かよ」的なことを思ったりしてどうしても 2500円/時 分働かせたくなるよね。
働けど働けど…、という事になりやすいだろう事は想像に難くない。
格差は開いてゆくわけだ。

んなら民間企業による人材派遣業を全面禁止して、国有化しちゃえば良いじゃん?
職安なり何なりが派遣すんの。んでこれまで派遣先から支払われていた額よりももっと安く搾取することにすればいい。
そうすれば失業率は減るし、労基法を徹底できるし、所得税に加えて派遣の手数料も取れる。税収もGDPも上がってバンザイだろう?

日本の労働人口は、平成17年で労働者は6437万人だ。
公務員が400万人くらいだからまぁざっと6000万人としよう。
その全員を派遣社員にしてしまって、派遣先から2000円とって1700円を労働者に還元するとしよう。つまり一時間当たり300円とるということだ。

するとどうだ。
労働者にとっては、仮にフルタイムで20日働いたとして

(時給1700円×8時間)×20日=272000円

という月給になる。

その時点ですでに時間当たり300円とられているから、国には

(時間300円×8時間)×20日=48000円

の収入だ。所得税の他にだぞ?

これが6000万人分だと考えると一ヶ月に

48000円×60000000人=2880000000000円

の収入になる。0が多いな。幾らだこれ。
2兆8800億円の収入となる。これが一年だとええと。

2880000000000×12ヶ月=34560000000000円

34兆5600億円となるわけだ。

言っとくけど所得税は別でだぞ?

全員がフルタイムを希望するとは思えないので、少なめに見積もっても20兆円は確保できるだろ。
しかも、“デキる”ひとはそれだけ時給が高くなるだろうからその分を含めるともうちょっと行くんじゃないか?

これまで20万円ももらえなかった人に手取りでざっと23万円くらいを提供できる上に税収アップということになる。当然可処分所得も増えるからGDPもあがるだろう。失業率もガクっと落ちる。
しかも私企業にとっても、これまで民間の人材派遣会社に支払っていた額より安く派遣社員を雇えると言う塩梅だ。

ああ、当然私企業の経営者は「派遣」から外れると考えるよ?
いろいろ細かい条件は省いて考えてるけど(職安による迅速な『チェンジ』が前提だとか、企業経営者、役員の数を把握していないとか、技術の習熟とか、)、ざっとはイケてるんじゃないかな。

イメージとしては「人民公社が自由競争」と言う塩梅だ。どうだこれ。

■■『休日ってのは休むためにあるものではない』

 お盆休み終わっちゃったね。儚いね。
最近思うんだけど「休み」の意義ってのは「休むため」ではないのではないか?
社会の「理想」みたいなもんで、決して実現する事のない安息みたいなものなんじゃないか。理想的な休日と言うものは死なないと訪れないのではないか。

むしろ平日のモチベーションを保つために「休日」は存在しているのではないだろうか。「あー、あと3日頑張ればまた土日だ。惰眠を貪るぞー」とか。
で、結局仕事もって帰っちゃったりしてろくに寝れないんだけどね。
月曜の事考えて「あ、あれを覚えておかなくちゃ」とか急に思い出したりして気が休まらなかったりしてね。
休み明けにそんな事を考えちゃうんだよな。
あー、30歳になっても「何故、朝眠いのに無理矢理起きて全員同時に出勤しなきゃいけないんだコノヤロウ」と未だに納得できない僕がいる。

よぅし、あと3週間頑張れば連休だぞ!
(「この先に梅林があるぞ!」みたいな。)


■■■『if小説ってのがアレだな』

 十数年前、僕が高校生だった頃三国志のif小説なんかがチラホラ出てたのを不意に思い出した。
簡単に言うと「呉が統一しちゃう」とかそんな。
僕は読んだ事ないんだけど、まあ大体どんな展開なのか予想は付く。

しかし、何故かあれなんだよな。三国志に限らず「if」をメインにおいた話ってのは戦争がつきものだよな。「あそこでああしていれば…」みたいな。猫も杓子も。

でも「霊帝や献帝が名君だったら」とか根本的なところでのifってないな。
「耳のでかい草鞋売りが、謎の髭男と、虎ヒゲの肉屋との三人で義兄弟になったけど、本質的には単なる飲み仲間」とか「『治世の能臣、乱世の姦雄』と言われたけど普通に役人」とか、「臥龍と言われたけど臥せたまま還暦(それだと単に臥人間だよな)」とか、そんなifがあってもいいじゃないか。なぁ?

義兄弟か。欲しいな義兄弟。108人くらい。

■■■■

 あー、108人の義兄弟といえば、あれだ。
中国において国民党と共産党が内戦していた時、香港の郊外に大砲の流れ弾が飛んできて、古い祠が被害にあったという事があった。
地元の人が祠を修復しようと作業していた時、祠の中に立っていた石碑が台座から少しずれてしまった。
石碑の下にはとてつもなく深い穴があり、その奥から古の時代に聖人によって封印された108の悪霊が飛び出そうとした。
 その場にいた人は勿論水滸伝を知っているので「あ、やべ!」と呟いてすぐに石碑を元に戻した。
しかし、出てゆこうとする悪霊の全てを阻止する事が出来ず、ちょっとだけ出てしまった。

それが後の「五福星」であり、主な人物は勿論ジャッキー、サモハン、ユンピョウである。


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僕が如何に合コンの似合わない男であるかという証拠としての雑念


 ぼんやりとmixiのニュース記事をみてたらこんな記事発見。

合コンで異性に熱く語られるとウザいと思う話題ランキング

 このランキングに挙がっているうちの幾つかは、合コンでなくとも、異性でなくとも、熱くなくとも、やはりウザい話題だったりするね。
 ま、それはいいとして、もし合コンに行ったとしたら(多分もう行く事は無いけど)ココに挙がっていない話題を使うのが無難だと言う事になるよね。うん。

…なにを話せばいいんだ。
会話のキャッチボールったって取っ掛かりがないとアレだしなぁ。

あー、「マニアックなコレクション」というのは挙がっているけど、「マニアックな話」は挙がっていないね。ならきっと「マニアックな話」がウケるのかなぁ、と推測。

“仏教、老荘、構造主義いろいろ”の親近性について熱く語るとか、継体天皇について熱く語るとか、「ユーゴ内戦でT-34が現役で使われていたのをニュース映像で観た」という話から“未だに現役で”コンボとして「富山地方鉄道で昔のレッドアロー号が使われてる」話につなぎ、「やっぱ生涯現役が一番良いよね」的な年寄り話でキメるとかか?「『爽快』の先月号買った?」とかそんな。

いや、でもフツーに考えて「お笑い」の話とかでお茶を濁すのかな。
由利徹の奥の深さとか、「怪談」に走る前の稲川淳二のネタとか、アゴ勇のポジションについてとかか。

まぁ、いいや。合コンいかねーし。

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世界は事実の総体であってものの総体ではない。

 職場にて残業タイム中、隣に座って仕事をしているお姉さまと雑談。
残業タイムと言うのは定時内に比べて集中力の限界が近づいているせいか、しばしば楽しげな雑談になる事が多いというのはどこの会社でも同じだろう。これは「充分に豊かなのに何故人は労働をやめないか」という事に非常に関連している事であろうと思うのだが、それはいつか改めて書く事にする。
今気になっているのは、雑談相手のお姉さまが口にした「生理的に嫌い」という言葉に関してである。
まぁ、よくあるその場にいない人に対する感情の吐露なのであるけれど、その“ある意味全否定ワード”は“ある意味で全否定”であるが故に、それ以上、例えば“どの部分がどのように嫌悪感を齎すのか”などとは考える事はないのではないか。
少なくとも、僕はこれまで考えた事は無い。

 僕は「ふんふん。へー、そうなんですか」などと会話の流れに乗っているようなフリをしながら「生理的に嫌い」とは一体なんなのかについて気になって考えていた。

結論なんかは出ないのだけれど、もしその場にウィトゲンシュタインがいたら(頼みもしないのに)次のようなヒントを僕に出してくれるだろうな、と思った。

「世界は事実の総体であってものの総体ではない。つまり彼(生理的に嫌われている人)そのものという“もの”が嫌われているのではなく、彼と言う出来事が嫌悪されているのである」

そしてその横にラカンが居合わせたりしたら、ゲンちゃん(打つのメンドクサイから勝手に愛称決めた)の言葉を受けて次のような事をいうような気がする。

「彼と言う出来事は、主に<象徴界>と<想像界>の内部で組み立てられた秩序の中に踏み込んできた、より<現実界>に近い形を留めた<現実界>の痕跡であろう。」

つまり、日頃TVや映画などのフィクションの中で組み上げられ続ける規範、例えば“社会人”としての関係の仕方、振舞い方、距離のとり方、会話の流し方、最近の言葉で言えば「空気を読む」という、「ありもしない『空気』を、あたかもあるフリをしながらお互いに同意していくゲーム」への参加、ファッションと言う関数の読み取りゲーム、清潔感を保つ事等々に対する、『それ以外』による侵入への、ある種のトラウマ的反応なのではないか、という事なのではないか。
ジジェクの邦訳みたいな書き方してみた)

僕自身も「彼という出来事」に関して「う、うーん…」と言う感じなのだ。
お姉さまも僕も同時に同じような感じ方をしていると言う事は、つまり同時代的な、似たような規範の内部での反応だといっても良いのではないかと思うのだ。
両者の背景的な共通点はほとんど無いと言って良いだろうから、考えられるのはメディアによって備給され続けている規範によるものが大きいのだろう。

そして何よりこの「生理的に嫌」という嫌悪を感じると言うのは、他者を拒絶する反応であると言って良いのではないかと思うのだ。
誰しも<象徴界>と<想像界>に軸足を置いて、やや距離をとりながら<現実界>解釈していたいわけだが(コントロールは不可能だが)、より生々しい<現実界>の痕跡(つまり他者)とニアミスしてしまうという出来事が「生理的に嫌」と言うことなのだろう。
「メディアによって備給され続けている規範」の内部では考えられない若者像が自らの世界に侵入してきたのだ。
寛容を装いながらも密かに移民に反感を持つヨーロッパ人に通ずるものがあると思う

・・・おっと。と、いう事は僕はまだ規範の中にいてセーフなわけだな、と思いつつ、ラカン的なあれこれというのは僕みたいなのが言葉にすると書ききれず酷く薄っぺらになってしまうなと絶望的な気分になりつつ、眠いので、寝る。

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「宴もたけなわ」の語源

 隋の煬帝がまだ若かく即位していなかった頃、宴会の最中に屋敷に泥棒が入った事があった。
ドジな泥棒だったらしく屋敷に入った途端、若き煬帝に靴の踵で殴られて捕まってしまった。
しかしその時偶々屋敷には縄がなく、煬帝は仕方なく気を失った泥棒を前にして縄をなう事にした。
それを見た家臣達は「泥縄とはまさにこの事ですな。わはは」と大笑いした。
煬帝も縄をないながら「そうだろうわはは!」と大笑いした。
その日の煬帝は余程のハイテンションだったらしく、俄かには信じがたい速さで縄をなっていったのだった。
家臣達は煬帝の恐るべきテンションと縄をなう速さとに驚愕した。
そんな家臣達を見て煬帝はさらにテンションを上げ、神がかり的な大笑いをしながら瞬く間に長い縄をなったのであった。
「見ろ!今宵の俺は一味違うぞ!縄屋になろうかなうわははは」
とか言っている若き煬帝に向かって家臣が
「綯縄是如破竹也。」
と叫んだ事から縄竹、転じて竹縄=たけなわとなったのです嘘です。

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水平への暴力を垂直にするにはやっぱりアレしかないのではなかろうか


 僕は前回のエントリにおいて秋葉原の事件を引っ張り出し、「植民地民的な暴力のふるいかた」であると言った。
自らに内面化した単一の価値観に沿うとどうしても“弱者”になってしまう自分への憎悪が、似たような立場の人間への憎悪(や、そういった人々のささやかな幸福への嫉妬)へと変換されて、水平に暴力が振るわれたのだと、簡単に言うとそういうような事を言った(つもり)。

 そして僕はこれを指して、植民地は地図上から消えただけであって僕たちの内面へと移され(そして巧妙に隠蔽され)、“地理的”ではないものへと変化したのだ、と言った。

 「革命」などと言うと、きょうびアホらしく聞こえると思うのだけれど(僕も書いていて少し恥ずかしい)、もし昨今の「いつ水平に暴力を振るわれてもおかしくない」(そもそも今特別にそういった状況であると断じていいのか迷うが)状況と気分を一掃せんとするなら、「水平に振るわれる暴力」を「垂直(上な。下への暴力はいつもふるわれているだろ?)」に向けさせるのが一番手っ取り早いだろうと思うのだ。
そういった意味で、僕は「革命」はアリだろうと思っている。セラピーとして有効だろう。
勿論、実現が可能であるかどうかというのは別の話だ。

ただ、常に弱者に向かって振るわれる暴力を「水平に」転嫁して一層の惨状を作り出すよりも、上へ向かわせるほうがいくらか健全であろうし、ぺーぺー(勿論僕もだが)の多くもスッキリするのではないか。たったそれだけの事だけだけど「革命」はアリだろうと思う。

■■

 そして「革命」はもはや「絵に描いた餅」ではなくなってきているだろうと僕は思っている。
いや、餅にはならないと思うのだけれど、もち米は炊かれ始めているだろう。炊くだけ炊いて放っておかれてカビて終わるかもしれない。
が、ひょっとすると“つく”ところまで行ってしまうかもしれない。
“セラピー”としてはそこまで行ったほうが良さそうだと僕は思う。

■■■

 けれど、その“セラピー”にはイデオロギーもなく、中心的なものなどないだろうと思う。暴れて終わり。「革命」と言うよりも「スゴイ暴動」とか「ええじゃないか」の類だろう。
何か起こったとしても最終的に“餅”となって隣人に振舞われる事はないだろう。


で、それ以上に心配なのは、第二のクメールルージュみたいな事になるのではないかと言う事だ。
ヒエラルキーの上位にいる人々が血祭りに挙げられるのは一向に構わないが、「学歴があるだけ」とか「眼鏡をかけている」だとか「美男美女」だとか、そんな事だけで惨殺されるような事態に至らなければ良いと、なんとなく不安に思っている。
なんせあの時と同じようにただ食えない人が大勢いるのだからね。イデオロギーでなく、憎悪と空腹による「革命」によってヘゲモニーの奪取がなされたら、それはそれでとても危ないのではないか。
できればどなたか頭の良い方に、早急に「イデオロギー」をでっち上げてもらいたい。
僕は最近満員電車の中でそうぼんやりと考えている。

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植民地について

 ぼんやりと鈴木邦男のサイトを見ていたらこんな主張があった。


 僕はこの主張を読みながら、若い頃のマルコムXを思い出した。
マルコムXの映画(デンゼルワシントンがえらいカッコよかったですな)の中にもあったシーンなんだけど、活動を開始するずっと前の若いマルコムには、髪をストレートにしつつブロンドに染めたりして白人の真似をしていた時期があった。
 その後マルコムは、その「白人の真似」自体が、大変深刻な事柄であると気付くわけだ。
即ち、当時の社会構造(今も、かも知れないけど)から「白人=優、黒人=劣」といういわれのない価値観を内面化させられ、「自分が黒人として産まれた」という事自体を嫌悪し、自らの中から「劣」を排除していこうとする行いがあり(つまり優である白人に近づこうとし、劣である黒人を遠ざけようとする心の動きがマルコムに白人の真似をさせたというわけだ)、同時に自分以外の黒人に対しても憎悪を抱き、憎しみは黒人社会の中に内向し、足を引っ張り合い、かくして黒人社会は理不尽な差別に対して連帯して立ち上がることがない。
 こうしたことに気が付いたマルコムは、黒人が決して劣った存在ではない事を当の黒人たちに気付かせるために努力し始めたというわけだ。

で、このような「被支配者の内面に自己への憎悪を書き込む」という作業はそれ以前の植民地支配の中でも行われていた。そのような支配をすることによって「自己を憎悪して白人に近づこうとする人々」の協力を得ることができるという寸法なわけだ。

■■

 また秋葉原の事件を引っ張り出す。
話に聞くに酷い条件の派遣労働である上に、彼女がいない事が犯人による拡大的な自殺とでも言えるような、テロとも言えるような凶行の動機であるようだ。
“話に聞くに”であるから本当なのかどうだかわからないが、そういうことにして話を進めるとだな、これは確実に(とこの際言ってしまっていいだろう)植民地における同胞に向かう暴力と同じものだろう。

■■■

 確かに植民地は地図上から消えた。
けれど、その代わりに僕たちの中に内在化する形で存続しているのだ。

連日メディアの中では次のようなメッセージが流される。
「この商品を買えばモテます。あなたがモテないのはこの商品を買っていないからです。周りを見てください。みんなそれぞれ好きな相手と連日イチャイチャしていますよ」
 これはコマーシャルの中だけではなく、テレビドラマや映画などの世界にも織り込まれている。
直接的に商品を売り込むCMでなくても、何らかの形で「相対的な貧乏は悪」という価値観が織り込まれている。そんなものを毎日見せられたら内在化せざるを得まい。

と、ここで僕の好きなカートヴォネガットの言葉を引用しようとして検索にかけたら、二年前の僕のエントリが引っ掛った(笑)

これ
内容がほぼ同じ。二年の間に特に進歩してない:笑

■■■■

 僕たちは「貧乏は悪である」だとか「彼女がいないと言う事は劣っている証拠である」とかいう劣等感や憎悪を内在化させられ、植民地の住民を支配するのと同じ手法で支配されているのだと今日は言い過ぎてみよう。

秋葉原の事件において、水平に振るわれた暴力と言う構図(つまり元凶である筈の政治家や資本家などに向けられなかった、垂直ではなかったと言う意味での水平)は、これまでに理不尽な形で支配されてきた人々がしてきた反応と似てやしないか。貧民街で足を引っ張り合う黒人達のイメージに似ていないか。

僕は、僕らという植民地の宗主国は(ネグリ&ハートがいうような)<帝国>に近いものであろうと思っている。
現代の植民地民は<帝国>の高官のようになりたい一心で、そうでない自らを、そうでないものを遠ざけ、憎悪する。
時にこういった事件を起こし、時にホームレス殺しを起こす。時に自ら進んで商店街に監視カメラを設置しようと言い出し、時に分別臭くワーキングプアを“自己責任”であるとして足蹴にする。最も報われていない筈の若い人間が怖いと言い出し、理解不能な事柄はゲームのせいにする。更に酷いのは先祖のせい。因縁のせい。

 現代において、植民地とは僕たち自身の事なのだ。

(
ネグリは資本と僕らの関係を帝国と臣民みたいな表現で表していたりしたと思うのだけれど、僕はそれは甘いと思っている。帝国と臣民(マルチチュード)と植民地(ルンプロ)だ。
)

■■■■■

鈴木邦男のサイトの内容に再び戻るけれども「政治家に対してやればよかったのに」的な論旨(外山恒一、赤木智弘、佐藤悟志、中川文人氏らによる発言のようだ)には「おまえらちょっとまて」と思う。
無責任にすぎる。
なにかと足を引っ張り合う弱者に対して(つまり水平に暴力を振るいたがる弱者に対して)友愛と連帯を説き、支配する側の権力との健全な対立を説くのが先だろう。
テロを口にするのはその後だ。

マルコムXやガンジーのような人間が必要なのだ。弱者の自己憎悪とそれを同じ弱者に転化したがる愚行をやめさせる人間が必要なのだ。
憎悪を然るべき健全で論理的な怒りに変え、健全な対立に向かわせる必要があるのだ。

無責任な発言をするやつらは必要ではない。わざわざロフトで床屋談義などしているヒマがあったら辻説法でもやればよいのにな。植民地解放の布石になるような。


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死刑に対して

秋葉原の通り魔事件を受けて、またぞろ「死刑!死刑!」と何も考えずに言い出すヤツが増えそうなので、今のうちに書く。

まず資料をどうぞ。

国連犯罪予防機関-罪種別の世界各国別の発生率1998~2000

国連犯罪予防機関-罪種別の世界各国別の発生率2001~2002

世界の国々における大体の犯罪発生の統計。

んで、下はwiki。死刑廃止国一覧をご覧頂いて、上の統計と比較してくだされば。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C

 廃止国の凶悪犯罪の発生件数と、存置国でのそれと比較しても大差がないのは確かで「廃止しても変わらない」とは言えるっぽい。

でもかといって「抑止効果がない」と言い切れるかどうかイマイチはっきりしないのではなかろうか。
なにぶん「90年代に入ってから死刑を導入してみました」という国もなく、当然統計もない。

 「死刑廃止/存置」の議論をするとしばしば論点が「抑止効果」に行きがちだけど、実験と検証が(倫理的に)できない性質のものなわけで、そもそもそんな論点は不毛だと言えるだろう。

例えば↓のおっさんみたいな一方的で想像力の足りない「抑止論」はノータリン極まりない。

 動画の中で語られている「【死刑が怖かったから自首した】【その後も繰り返されたかもしれない凶行をとめる事が出来た】だから抑止効果があるんだ。」という短絡的な結論は、犯人より頭が悪いように思われる。
ちょっと考えれば「抑止効果が大いに期待されるのなら、最初の犯行も抑止された」であろうことに気付くはずだ。

上の動画のおっさんこそウザいから死刑になって欲しいところである。

まぁ、そんなこんなで「抑止効果」を論点におくのはナンセンスであると言っておく。

■■

 そうなると「死刑存置」の視点で死刑を肯定するには「遺族の感情、人権」というところが主な材料となるだろうと思う。

遺族の復讐心、つまり「犯人をぶっ殺したい」という感情は僕も(そういう状況にないのに言ってしまうのも傲慢だと思うけど)理解できる。
だが、遺族には「人を殺す権利」など無い。
「人を殺す権利」は、国によって一元管理されている(国権の発動たる戦争など)のだから、「遺族の復讐心」を根拠として死刑を肯定するのなら、【復讐を国が代行する】という図式であると見做さなければ辻褄が合わなくなるだろう。

 死刑は制度として運用されるわけだから、全ての被告人に対して公平な判決を下さなければいけない。
となれば、仮に遺族が復讐を望まないという状況でも【国が代行】することになる。望まない復讐を代行するわけだ。それでは倫理的にどうか、という問題が出てくるだろう。

法治国家である限り「感情」を「死刑」のような人命を左右する制度の根拠に置く事は出来ない。
 「死刑になりたいから犯罪を犯す」という人間に対して“現状の最高刑”で接すると、望みをかなえる結果にもなる。それはおかしいだろう。
生殺し(表現を変更。“生殺し”じゃ意味が通らないから)殺すよりひどい拷問にすればいい?いや、それもおかしいだろう。

■■■

 僕は「ホモ・サケルの刑」に処す事を最高刑にするのが望ましいと考える。

 「人間同士お互いに害さない」という契約(があると見做す暗黙の合意)の上に「日本国」は成り立っているのだから、刑罰は「害した」度合いによってなされなければならない。
「故意の人殺し」は、メチャメチャ害しているわけだから寧ろ「(日本)社会の敵」と見做せるはずだ。
だが、上で散々書いたように「死刑存置」にはおかしいところが見受けられるのだから、「日本国の法律」から追放するという処置をもって最高刑にしたらどうだろう。
つまり日本国に保護されないのだ。
誰かに身ぐるみを剥がされても、半殺しにされても保護されない(と言うのは勿論、追剥や強盗は処罰されないということだ)。

ただし、この亜人間を殺した者は社会に対してその顔と氏名を明かし、履歴書等にもその事を記さなければならないというふうにすればいい。
快楽の為に殺す馬鹿が出てくる可能性があるのでそういうヤツにはリスクを背負ってもらう。
一方で、(死刑存置派が言うように)「遺族の復讐心」が世間一般に肯定されるとするなら、遺族によって亜人間が殺された事は「仇討ち」といして賞賛されるだろう。

■■■■

 こうしておけば、もし仮に第三者によって再審が求められ(亜人間は再審を請求する事が出来ない)、「ホモ・サケルの刑」が誤審であった場合でも、日本国に復帰させる事を持って回復させる事が出来る。
もしそれが間に合わず、遺族の仇討ちや、馬鹿に殺されるなどをした場合には、「殺す事」の重大さを味わってもらおうではないか。
 そもそも「他人に(本人の望まない)死を齎す」という事自体が唾棄されるべき事柄なのであるから当然である。

■■■■■

 とにかく何も考えずに感情的に「死刑!死刑!」といっているヤツは全員死刑なのである。

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「あり」(3)


 一連の“外部的知識の吸収/検分をすっとばして自分の頭で考えちゃう”のは「あり」か「なし」かというはやしさんとのやり取りがあったのだけれど、この記事において…。
=====
つまり、上記2点に関して言えば、中坊はまさに「自分の頭で考え」てしまっており(そして、これは多分に「わざと」である、とおれは思っている)、そして、そのことはけっして、「自分の頭で考えるのも『あり』だな」と思わせるものになっていない。
=====

とはやしさんに言われた。
この発言に関して僕は次のように解した。

「おめぇ、わざとやってんならぶっ飛ばすよ?」

と、いうわけで無理矢理「あり」と言い張るのはもうやめます。すんませんでした。

普通に考えれば「なし」なのは僕だってわかっているのだけれど、しかし胸を張って【“外部的知識の吸収/検分”ができている】とは言えない僕自身、「なしだ!」と言われると「ウッ」となるのだ。
それで「なし」と思っていても食いつきたくなったと言うのが正直なところなのだけれど、そうなると「なし」と結論を出していても食いつかなければならない(ヒマだったからって言うのもあったんだけど。つきあってくれてありがとうはやしさん)。そうであればなおさら「頭で考え」ていかないといけなくなってくるのね。
 んで途中から「このままどこまで食いつく(ポーズだけでも)できるか」というのが楽しくなってきた。予定ではもうちょい続けて、自分の論理の展開からがらりと「なし」に転向すると言うウルトラCを狙っていたのだけど、ヒマじゃなくなってきたので普通に「なしだよね」と言っておくことにする。もうしわけない。
(でもまだもっと“食いつくための”道具はあると思っている。)


でもあれじゃね。
“外部的知識の吸収/検分”を意識しているとイマイチ何も発言する気が起きないっていうのはあるね。生活上のアレコレだったらいいけど何某かの「展開」を見せるようなものを書こうという気にはならないよね。

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あれこれ


 僕の個人的な在り方の話でしかないんだけど、「実際に感じている感情」と「表情や雰囲気というディスプレイ」の違いが真反対だったりして面白い。

 はやしさんのこの話に僕がこういうことを言って、んではやしさんはこう返信してくれて、さらにこういうことで、しかも僕はこう言った。それに対してはやしさんは、ブログ(の一般的なイメージ。つまり単なる日記に過ぎない感じのイメージ)にしては丁寧にツッコミを入れてくれたわけだ。

(↑時系列で追うと僕のへたれ具合とかがちょっと面白いよ)

しばらくの間こうしたツッコミを入れられる事が無かったので、僕としてはとても嬉しかったりするのであるけれど、客観的に見ると“心ここにあらずって言う感じの目”で時々“あ、ちょっとまてよ”と呟いたりといった塩梅だ。
 つまり「どう返信しようかな」と言うところに意識が行ってしまっていて、傍目には「生きる希望を失ってしまっている人」っぽく見えているに違いない(実際お嫁ちゃんに不審がられている)。

 実際にはここ数ヶ月使っていなかった脳みその筋肉を使っていて、心地よい筋肉痛を楽しんでいると言った感じなので、街で「心ここにあらずっぽい僕」を見ても“鬱110番”みたいなところに連れて行ったりしないで頂きたいと思う。

 さて、今の段階では大した理路を組み立てられていないので前出のはやしさんエントリに対するアンサーは出さない。
まだ無理(ってか寧ろ漫画描きたくて書いたけどネタとして成立していないという苦しみの中にいる。二正面で苦しむ事が出来るほど僕は器用ではない)。なんかはやしさんも別稿書いてくれそうな雰囲気なので一休み一休み。

でも数点、また考えなきゃいけない、または答えなきゃいけないポイントは認識しているので、近々書こうと思って“は”いる(笑)。
 なんにせよ考える事は楽しいことだ(傍迷惑かもだけど)。

でも「あり」だって!

■■

 話は変わるけど、ケーブルTVみてたら「宇宙海獣ギララ」という怪獣映画が放送されていた。怪獣映画ブームの頃だからすごく古い映画なんだけど、この中に出てくるカメラワークの一部が秀逸!!

「宇宙船の中」を撮っているシーンなのだけれど、カメラ自体が上下にずっと揺れているのだ。「船」だから揺れているのか、宇宙の「無重力的ふわふわイメージ」からの揺れなのかわからないけど、TV観てて酔ったのは初めてだ。


 で、この映画、この手の映画に出てくる外人キャストってのは単に金髪(大抵染めてる)なだけのナニ人だかわからないのが多いのだけれど、珍しく「純然たる外人」がでている。
 思わず「おお、外人!」と呟いたら、お嫁ちゃんが「『外人』と言っちゃいけないと教育された世代にしては珍しい発言」と笑って言い出した。
 
そうだったっけ?
「外人」っていっちゃいけなかったっけ?
なんかそんなような気もするけど思い出せない。

■■■

 ケーブルTVっていいな。
地上波のやつは面白くもなんともなくてあまり観ないのだけれど、西部警察とかドリフとかが観れるのがイイ。
初期ドリフの笑いは笑いとしてみると(今では)観ていられないのだけれど、とても哀しい感覚が透けて見えていてイイ。
 判りやすい所で言うと(別にとりたててブスと言う事もない)研ナオコを「ブス奥様」という記号に見立て、大ジョッキに生卵を一杯に入れて仕事帰りの夫を待ち構え性行為を強要せんとする組み立てのコントなんかとても哀しい。悲劇だ。
「笑い」のための番組なのに哀しいのは何故だろうか。

多分、だけど飛んでいる矢を一瞬だけ切り取って見れば「静止している」と言えてしまうのと同じで、「切り取って」しまうと見誤るのだろう。


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薄々思っている事を指摘されるという悪夢

ジジェク師匠


 漫画版マルチチュードにおける「ネグリさん」について、
「ネグリっつーより、むしろラカンに似てね?」とジジェクに言われる悪夢を見ました。

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僕とチェレンコフ博士


 いろいろネタを思いついて「お、このネタでブログ書こう」と思っても、書いている途中で結論が大逆転したり、違う要素が混ざって何を言っているのか解らなくなったり、「後は結論!」という所までいって「いやちょっとまて」となってしまったりで、何も書けないで終わる事が多くなった。
 考えられる原因は、
1、以前にも増して頭が悪くなった。
2、思考に言葉が追いつかなくなった(希望的観測)。
3、「必ず届く手紙」のあて先が見えちゃった。
4、考え事の対象テーマがより抽象的になった。
5、頭脳やテーマに変化はないが思考材料が多くなって整理できなくなっている。

のいずれかなのではないか、と考えている。わかんないけど。
そんな感じなので「いやぁ、今日も言い過ぎた!」という充実感が無くなってしまって欲求不満なのだけれど、まぁ、いいや。くだらない思いつきでも書く。

 僕はとてもボンヤリした文系なので「相対性理論」とか言われてもイマイチ解らないのだけれど「同一の媒体の中での光速は普遍だ」という話は知っている。
よくSF関連の話で「相対性理論から言って光速を超える事は不可能だ」と言われる事があるよね。
僕だって「相対性理論から言えば無理だろ」と思う。
しかしだ。
(ブログのネタが書けないモヤモヤの腹いせに)高らかに宣言しよう!
「アインシュタイン敗れたり!」と。

 こう何て言うか、「ふぬん!」とか言いながらぐっと力を入れて強引に光速を超えればいいじゃん?
そうすればその時点で「相対性理論」を無視しちゃってるから何でもアリになるじゃないか。ワープだって可能だ。
「特異点?ふふん、それは俺のことだー!」みたいな。

…あー、ってか、んー。

…すみませんでした。


■■

 その点、SF作家の人の発想ってすごいよね。
「『同一の媒体の中での光速は普遍』なら真空中より光子の移動がスムーズな媒体を利用すれば良いじゃん」みたいな発想。
 ここから“言い過ぎ”る事が出来るのは、『普遍』っていうのは同一の媒体内での普遍でしかないって事だよね。

■■■

 人類が創ったものの中にある「普遍性」も、人類(という媒体)が変化すれば普遍的ではなくなっちゃうんだろうな、と思う。
時々スゴイ人が出てきて、「世間」を通過してキラリと光る。人々はそれを「偉人」とか「英雄」と呼ぶけれど、なんかそれチェレンコフ放射みたいじゃね?

 言うなれば我々は、それを「歴史」というカミオカンデを通して観測する小柴博士なのだ(この言い方かっこよくね?)。

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更新しないと見せかけてこっそり更新

 久々の更新ですよ。
その後いろいろありました。
「更新していない」という状態から「相当いろいろあったんだな」と思っていただけると幸いです。

 ええと、青森に3日ほど帰っていました。
うちのお嫁ちゃんと【事実上の】新婚旅行ということになるわけです。
実際は、新しく我が家のお墓が完成したので、こないだ亡くなった祖父の納骨、というのが本題だったんですけど、両親や親戚が気を使ってくれて【めちゃめちゃ夕陽が綺麗なホテル】に泊まらせてくれました。

Asamusshi_2

んで、このホテルは展望風呂というのがあって、まぁ「屋根のある露天風呂」みたいな感じなんですけど、意外にこういう風呂って怖くないですか?
 僕は夜中にこのお風呂に入っていて「鳥人間が来たらどうしよう」とか、「目の前の海から首長竜が出てきたらどうしよう」とか、なんかそんな事を考えちゃってとても怖かったですうんこ。
Tori


■■

 ここでいきなり読書メモ。
佐藤優の「国家論」読了。
僕が思っていることは大体書かれちゃっているので、少なくとも僕には出版のチャンスなしということ。
あと、あんまり頭が良すぎるとムネオと一緒に逮捕されちゃったりするんだなぁ、ということ。

この本の前半は宇野弘蔵のマルクス解釈を元に国家と社会と経済を解説するのだけれど、考えてみれば、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハートだってそっち系だし、僕の好きなジジェクだって自称マルクス主義者なわけで、<帝国>やらマルチチュードがなんだかちょっと好きな僕が「あ、良い本だな」と思うのも当然かもしれない。
佐藤氏は自称「右」だけれど、「左」をしっかり押さえている「右」なので読んでいてとても気持ちが良い。この人といい鈴木邦夫といいそういう知的な人ってステキだなと思う今日この頃だ。

ところでフーコーの代表作が文庫化されているのを発見したので、取り掛かることにした。字が小さくてしんどそうだけど頑張る事にする。

■■■

 北京オリンピックの聖火リレーで大騒ぎだったのは、ちょっと前の事になっちゃうけど、僕がとても気になったのは「政治とスポーツとを一緒にしてくれるな」という言説。
僕はこれに関しては「べつによくね?」と思うんだ。
 基本的に、オリンピックをはじめとした【スポーツのイベント】というのは経済の道具になっているだろう。そういうイベントが、既存の規模を純粋なボランティアで運営できないのだから無理もないだろう。広告費とか協賛金でやるよね。
 一方で、政治そのものも経済の道具だ。
韓国の新しい大統領が「大企業のCEO出身だから」という理由で期待されるのもそういうことだ。
ウォーラステインの「世界システム論」的な感じ(最近では中学生の教科書に載ってるそうじゃないの)。

 そういった塩梅だとしたら、ディレクトリ構成としては

経済 +政治
|
+スポーツ

こういう感じなんじゃないかな。
別に一緒でもいいんじゃない?
オリンピックやワールドカップで「ニッポン、ニッポン」と叫ぶ姿勢は、近代の国民国家を維持するのに欠かせない要素だと思うよ。基本的に政治とスポーツと経済は不可分だと思うよ。そして経済とコミュニケーションも不可分。ここが面白い。


■■■■

 ああー、photoshopのCS3が欲しいなー。フラッシュも欲しいなー。
高いなー。

■■■■

 「対象a」に子供がテキトーに歌っているウソ歌も追加したい。強引かな?

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弔辞


 祖父は立派な労働者でありました。
最期まで自立し、誰にも世話をかけないでいようという頑固な決意のある人でした。
娘が一緒に住もうという言葉をかけても、頑なにそれを拒み、孤独を愛する人らしく、最期まで孤独を全うし、死後恐らく三日目の今日、テレビを見ながら亡くなっているのを発見されました。

 祖父は立派な社会主義者でありました。
浅沼稲次郎を敬愛し、僕の生きる現代を憂いていました。
最期まで選挙権を行使し、保守主義の復活を嘆いていました。
戦時中は内地で本土決戦に向けて、高射砲の射手として死に臨む覚悟でありつつ、とうとうあまり戦わずに終戦を迎え、それ故に「外地に行った者の苦労はどれほどのものであったか」と折に触れて言葉の端に出しておりました。

僕は結婚の報告をまともに出来ぬまま、そんな祖父を送る事になってしまいました。
後悔ばかり残ってしまいます。
孤独を愛する人に「気遣い」としてあまり構わないでいたことを大変後悔しています。
残されたカセットテープにアルゼンチンタンゴが入っていました。
そういえば祖母とダンスホールでよく踊っていたそうです。
テープを再生すると、そのよく踊ったと祖父が語っていた曲の頭にあわせてありました。
 祖父と祖母が、信仰の問題で別れざるを得なかったいきさつを僕は知っています。祖父を良く思っていない伯父や伯母よりも良く知っています。祖父が祖母を想い続けていたことも良く知っています。
信仰とイデオロギーに翻弄され、その挙句身内から悪し様に言われる祖父の一生を思うと僕は悲しくてなりません。

僕と祖父が最後に会った時、祖父は僕の顔を見つめて、僕の敬愛する亡き大叔父の顔に似てきたと、さっぱりとした笑顔で言いました。
今思うと、何かを卒業した人間に言葉を向けるようなそんな顔でした。
僕が何かを卒業したと、そう判断してくれたのだろうと思います。

それから一ヶ月位で、今日という日を迎えてしまいました。
故郷の青森と、そこで娶ったかつての妻を想う人らしく、よく雪の降る週に逝きました。
これを読んでいらっしゃる方には申し訳ないのですが、孤独を愛した祖父の葬儀は、恐らくごく少数によるものとなります。
弔辞などを読んだりすることはないでしょうから、僕の思いを「必ず届く宛先」に向けて書かせていただく事にします。

無心論者の葬儀に戒名の手配をする事に疑問を覚えつつ。

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油断は禁物。


 昨日はツレの誕生日でもあって、覚えやすいなぁ、という理由で役所にアレ届けを提出した。
苦節…、ええと何年だっけ。忘れたけどいろいろ紆余曲折を経ての事なので感慨もあるのだが、それは置いておく。
僕は「人妻」ならぬ「人夫」となったのだ。なんというかとても低賃金で重労働を強いられそうな響きである。それだけで立派にプロレタリアートと呼べる。ヒエラルキーとしてはきっと下のほうであることは想像に難くない。いわば蟹工船である。

さて実家では、嫁の誕生日だからという理由で、お姑さん(つまり僕の母)が特大ハンバーグを作ってくれていた。そしてツレの名前の入った誕生日ケーキ。
ケーキにはチョコで、ハンバーグにはケチャップで「ツレちゃんお誕生日云々」とわざわざ書いてある。
「お姑さんが嫁の誕生日にハンバーグを作ってくれる」というシチュエーションは一般的に、何かどこか微妙に変なような気がするのだけど、なんだか面白いのでよしとする。


 というか、僕のおのろけは置いておいて、言いたいのは「アレ届け」はあくまで戸籍関係の書類であるという点である。
 僕と同じような、離別型母子家庭出身で、しかも「生物学上の父」に起因する辛酸を舐めさせられる事の多かった人々で、しかもこれからアレ届けを提出する人々伝えておきたいのである。

「生物学上の父」の名前も記入しなければならないぞ。

これは、自分の人生から排除したい名前を思い出させる(というか、身内がお祝いムード一色である状態で母にその名を聞かなければならない状態)というとても屈辱的な一幕を呼ぶ場合があるので、注意が必要だ。
実際「生物学上の父」の名を書類に書く時、とても屈辱的であった。
区役所のおじさんの「生物学上の父」の名を聞く際の申し訳なさそうな表情がちょっと忘れられなさそうだ。

同じような境遇の人は要注意である。


 最近、育毛関係の会社「リーブ21」の宣伝に出てくる社長と思しき人物が気になって仕方が無い。
なんだかとても弱そう(特に首周りが)なのである。
僕は、ここ20年は殴り合いの喧嘩などしたことがない(つまり小学生以来ということだ)し、今やっても恐らく弱いだろうけれど、この社長(と思しき人物)には1ラウンドでKOを奪えそうなのだ。
 この人物をどうやって倒すか、それを考えるのが、最近のマイブームである。

僕だったら、次のような運びで倒すだろう。

1、まずローキック数発でけん制しつつ、
2、社長(と思しき人物)の重心が前に移ったところで延髄切り
3、倒れたところを上四方固めの要領でマウンティングしつつ
4、脳天に膝連打。
5、TKO

逆に、僕が社長(と思しき人物)に負けるとすると、彼の重心は見たところ上のほうにあるので、恐らくキレ味の良いタックルを繰り出してくると思うのだ。
僕はそれを警戒しなければならない。
彼のタックルを食らって倒れたら、それこそ「上四方で膝」というパターンに行かれてしまうだろう。印象が「弱そう」であってもやはり油断は禁物だ。みんなも気をつけよう!

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ヒサビサ


 久々の更新。
ぶっちゃけあまり書くことがないのだ。
ラカン関係の本を読んだところで、精神分析そのものが「説明できるけど正しいとは限らない」みたいなところがあって、僕みたいなショボいのが「これはこうだ!」と断言するのはどうかなというところがある。

 そこで精神分析系の読書から抜け出すべく、ツレに「テキトーに思いつく思想家の名前を言ってみて」とお願いしてみた。
 僕の好みで宗旨替えしようとしても、どうしても「割と関連している」ところに行ってしまうであろうし、そんならランダムに決めてもらったほうが面白そうだと思ったからである。

しかし、ツレのいい加減な口から出た名前は「ロジャー・ベーコン」。

…僕に錬金術師になれとおっしゃるか?
(フランシスでもめんどくさいのは言わずもがなである)


 読売巨人軍の地上波における視聴率の低下が著しいという話を聞いた。
そりゃそうだろう。
シーズン中、毎日毎晩野球ばかりやってたら、いかに「巨人ファン」でも飽きるだろ。
 需要がないものを氾濫させるべきではないと思うぞ(一方で需要がないからといって“無くせ”とは思わない。念のため)。

そこまで人気がなくなってきているのなら、いっそ週一回土曜日のみゲームすればいいのではないか。
それ以外は実業団風に仕事な。読売巨人だったら新聞配達な。

そうしてしまえば「プロ野球」の氾濫は減じるであろうし、「いつも配達に来ているお兄さん」に対する応援の気持ちから熱心なファンも出てくるだろう。
それこそ「地元チーム」への愛へと繋がっていくのである。

■■

はっきり言おう。

野球ばっかりやっているヤツが野球をやっているところを観たところで面白くもなんともないのである!

寧ろ、「日本相撲協会 部屋別対抗 野球大会」と題して3月から9月まで相撲を休んでペナントレースをやったほうがアツいと思うのだがどうだろう。
9人そろわない小さな部屋は、他の部屋と合同な。

■■■

 ってかあれだよな。
プロ野球にしても相撲協会にしても成り立ちがとても(旧体制に対して)ドラマチックだったのに、もはやそれ自体が旧体制となってしまって邪魔になっているよな。
次は何が出てくるのか、ちょっと楽しみだ。

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二つの物語の類似性と差異


 「新年、新年と暦の事で、ただ単に飲み会の口実にしか過ぎないのになんでみんな浮かれてんのかね」と言ったらツレに「飲み会の口実だからだよ」といわれた。
はい。その通りでした。

 新年はぼんやりと映画などを観て過ごしていた。
無論、飲み会などのご馳走三昧でブカブカになったりもしていたのだけれど、基本的には映画だった。

ケーブルテレビで放送していたので久々に「モダンタイムス」を観るに至る。チャップリンのアレだ。
あれって、アレだな。
 いや逆だな。
野坂昭如原作の「ほたるの墓」ってのは、モダンタイムズの悲劇的なヤツだと言っていいね。「言いすぎ」かもしれないけど、プロットが良く似ているように思える。

 チャップリンとゴダードは「モダンタイムス」で、好転する未来を暗示しつつ、尻切れトンボ的にハッピーエンドを迎えるのだけれども、冷静に考えるといずれ“のたれ死”する可能性が大きい(だって主人公はアレな感じだし)。
 乱暴に言ってしまえば、「その先」を描くかどうかが、「悲劇/喜劇」の分かれ目となっているのだ。
「ほたるの墓」が、節子の死を直視させるものでないなら、それはとても「モダンタイムス」に類似した話になるだろう。

 この二つの映画の後ろに流れるテーマは、恐らく双方とも「一寸先は闇」だろうと僕は思うんだな。

恐らくだけど、「全部見せる」「途中までしか見せない」という使い分けによって、「悲劇」「喜劇」の書き分けが出来るに違いないのだ。

==

(全部書く場合)
 愛しのあの娘を動物園で夢にまで見た初デート。しかし、鉄格子の向こうにいるゴリラが力一杯投げたうんこがお気に入りのシャツに直撃した。愛しのあの娘に微妙な励ましを受けながら帰宅。その後、あの娘から連絡はない。

(途中までで終わる場合)
 愛しのあの娘を動物園で夢にまで見た初デート。しかし、鉄格子の向こうにいるゴリラが力一杯投げたうんこが…。
==

 途中までのほうが、微かに「希望」が見出せると思うのだがどうだろう。


■■

 賛美歌だとかその類の宗教音楽などは大抵中途半端に終わる。
これは上に書いたような「途中までしか見せない」という手法を用いたものだろう。
「途中までしか見せない」事で「希望」を見出させるのだ。

■■■

 きっとパンドラは箱の中に最後に残ったものを見なかったに違いない。
だからこそ「希望」なのだろう。

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キリスト教においても滅法の世であるようだ


 今日、池袋を徘徊していたら、サンシャイン通りでなにやら火災があった様子で、十台からなる緊急車両が、あの人ごみの中へ入っていった。
僕は「対岸の火事」を決め込んで喫煙スペースでぼんやりその光景を眺めていたのだ。

普段から大音量で流している、あの巧いんだかどうなのか判らないネーミングの献血施設「ぶらっと(多分Bloodとかけている)」による献血を訴える放送や、ビッグカメラの宣伝放送は、消防車による「緊急事態なので皆さんどいてください」という緊急の放送のためにしばらくの間自粛していた。
 この自粛は当たり前だけれども、やはりとても倫理的で好ましい行為であって、僕の「おお、やっぱそうだよな!」という感心を引き起こしたというのは言うまでもない。

だが、だ。

残念な事に年末によくいるキリスト教を騙るクソ野郎どもの放送だけは止まなかった。
放送をしながら立ち続けるクソ野郎は、仲間と薄ら笑いをしながら談笑している。
その時の放送内容は「イエスは人々の為に死なれた」「悔い改めぬ人は地獄の業火に焼かれて云々」…。

お前が死ねクソ野郎!

 イエスの想いというのはそんなものじゃなかった筈だ。
イエスはカッコ良かった。イエスは他人の為にできる事(贈与)をとことん追及した人だった。にもかかわらず信者はこの有様なのだ。イエスの言いたかった事は、絶望的に伝わっていない。そんな自称「信者」は死ね。地獄の業火に焼かれろ!今日の事をイエスはきっと赦すだろうが僕は赦さない。
僕はキリスト教信者ではないが、イエスは尊敬する。
もし、イエスの生き様に共感してなにかしらの共同体に入ろうとしている人がいたら、慎重に考え直すように勧めよう。
 学ぶべきは宗教団体ではなく、イエス自身の在り方なのだろうし、キリスト教においても、今はまさしく滅法なのだろうからね。

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その日NHKになにがあったか


数日前、ツレとぼんやりNHKをみていたら、ツレが「なんかさっきからアナウンサーがカミカミだよ」と、アナウンサーの呂律の乱れに気付く。
僕はあんまり気にしていなかったので「ふぅん」とその時は流したのだが、なんだかんだで気になってよく気をつけて見ていると、番組が変わって違うアナウンサーになってもカミカミであることに気が付いた。
 そのうちすごく気になって、サンプルを集めようと割合長い時間NHKに注目してみた。

すごいかんでいる。

我が家は、このNHKらしからぬ呂律の回らなさに「あ、これは内部で何かあった」と判断した。

推測であるが、その一日アナウンサーに動揺が走るような修羅場があったに違いない。

/*==妄想ここから==*/

 同僚から“誠実で頼れる人”として通っているナントカ局長Aさんは、NHK地方支部から単身赴任だ。月に数回、家族のもとに帰っている。
 そのAさんの奥さんが、その日NHKの本社に怒鳴り込む。
Aさんの奥さんは、清楚な美人でやはり誠実で仕事の出来るBさんを見つけるや「この泥棒猫!」と叫んで掴み掛かる。その日もいつも通りテキパキと仕事をこなしていたNHK本社は、一瞬にして凍りつき、修羅場と化した。
 警備員と男性職員数名によって、警察沙汰にせず、騒ぎは穏便に収拾されたが、その日一日、アナウンサーたちに動揺を与え続けた。
「ああ、あの後ろめたいところの何一つなさそうなAさんとBさんが…」

/*==妄想ここまで==*/


ごめん。書くことないんだ…。

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議会の答弁風に直してみる


 猥褻な小説などに良く出てきそうな、ステレオタイプなフレーズを議会の答弁風にしてみる。いや、なんかツレがそんな事を口走っていたので、本当にやったらどうなるかなって思って。もしヒマだったら再びステレオタイプなフレーズに再翻訳してみて。

 便宜上拒否されているように見受けられましたが、しかし慣例上、承諾されたと解釈するのが妥当であると判断いたしまして、そのようにさせて頂くと言う事になったと言う次第でございます。

■■

 収支に著しい影響を与えないと一般的に判断される許容範囲であると思われます。

■■■

 このような事例は、過去に前例がございませんので、私自身大変驚いております。

■■■■

 …いや、ほんとこんなエントリ、大変遺憾に思います。

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阿弥陀仏


 観るのはもう6~7回目なのだけれど、【少林寺達磨大師】でまた泣いた。これはスゴイ泣ける。

前回までは「悪人正機」で泣けていたのだけれど、今回は人間の「業」で泣けた。

僕がお金を払ってまで何度も観るのはこの映画だけなのだけれど、全く“泣きポイント”がこれほど多く散りばめられている映画は他にないだろう。

今回の僕は、もう“悩める慧可”とその師はもとより、冒頭のシーンで涙ぐんでしまった。
インドの第三王子に般若多羅が言う。
「産まれる前の自分は何者か。産まれた後は何者か」
これだけで泣けた。
もうここまで来ると条件反射的な“泣け”具合なのかも知れないけれど、とにかく泣けるのだ。
ずっと前にこの映画について書いた時にも書いたけれど、この映画は“映画としては”とても稚拙だ。
シーン割りといい、メイクといい、展開といい、ダメだ。
だけれど、根底に流れるテーマやメッセージと言う本当に大事な部分は、これ以上なく大きなものだ。これはおおくの映画の“作り手”が忘れているものだろうと思う。
否。
それは僕も忘れがちな事だ。

達磨大師との問答に納得しない梁の武帝に、名の出ない高僧が言う。
「縁が無い事を知らされるのもまた縁である」

 あ、思うに僕は師(と師がもたらすヒントや答え)に飢えているのだ。
この過剰な“泣き”は多分それだ。多分。
阿弥陀仏。

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きっと宇宙は閉じている


 話していてとても気持ちの悪いタイプの人がいる。
何かその、僕の言葉を遮ってまでも繰り返し同じ事を言うだけの人。

僕が話す機会が失われても別に困りはしないのだけれど、何かその、僕に向かっているように見えて実は僕に向かっていない感じがして気持ちが悪いのだ。
 目だけ僕を見て、違うものに話しかけているような感じ。
例えば、「自称霊能者」が僕の肩の辺りにいる死んだ祖母に話し掛けているかのような(笑)、そんな感じ。

これは多分アレだよな。
本当に、僕自身に向かっては話し掛けていないのだな。多分。
彼の内部に創られた、想像上の「僕」に向かって話し掛けているに違いないのだ。
彼の内部に創られた、想像上の「僕」はきっとイエスマンだろうし、決して多面性を持たないであろうし、固定されているに違いない。

そうして「想像上の●●さん」を創り上げ、それに話し掛けてしまうのは、僕も例外ではないし、誰もそれを避け得ないはずなんだけど、それを判っている人と判っていない人というのがいて(つまり、“他者は常に多面的で、自分はそれを全て認識する事など出来ない”と分かっている人)、判っていない人は常に付き合いづらい。

恐らく、(ものすごい推測だけど)そういう人は、仮に結婚などしてもいずれ離婚するだろう。
多分、パートナーの像を固定してしまって他面を見ようとしないであろうからだ。

 そして、そういう人が「スゲー付き合いづらい」と思ったり、もしくは不快に思うのは、自分自身が、他者をそのようにしか認識できないという現実を目の当たりにする事への不快感なのではないかと思うのだ。
コミュニケーションが基本的に閉鎖的である言う事を(本当にそうであるかは別として)、意識させられる瞬間への不快感だろうと思う。

 僕はツレ自身ではなく「想像上のツレ」しか意識する事が出来ない。
長く関係を続けるには、「ツレは常に多面性を持ち、常に変化している」と言う事を前提にしていなければならない。
これは結構しんどいものである筈だけど、「他者と付き合う」というものはそういうものだから仕方がない。

例えば、ある時期、もしくはいつも、「うわー、親ウザ。」と思ったりする。
これは、自身が「息子/娘」として固定されているからだろう。
多面的な他者としてではなく、親にとって良く知っている「息子/娘」という面のみの認識で接してこられる事への拒絶であろう。

(それを許せるようになった時というのは、それこそ「そういうものだ」と親の人格を一面的に固定してしまった瞬間の事であろう)


■■

 そういう付き合いづらい人と飲まなきゃいけなくなった時(或いは飲んだ時にこの事を意識させられた時)、僕は「僕じゃなくて案山子にでも話しかけたらどうですか」と言いたくなるのだけれど、他者がどう反応するか確信がもてない僕としてはただ笑っているのみなのだ。

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プチ世界一。


なんかちょっと嬉しいので報告。

僕の個人サイトの一つ「蚊柱」が、googleの日本語、英語双方とも「Multitude」という語でトップに出されるようになった(07/12/17現在)。
試しにググってみ?

いや、なんていうかamazon.comの「Multitude」よりも、アントニオネグリ、マイケルハートよりも、スピノザよりも、googleの検索順位では上って妙に嬉しいじゃないですか。で、エロい語であるとか、金融系の語であるとか、そういう商用に良く使われるキーワードでないけれど、web上で使用される頻度としてはかなり大きい語であるわけで、これはちょっと自慢していいんじゃないかと思うわけだグヘヘ。

だんだん実ってきましたよ。
僕の【「え、俺ってこんななの?」とネグリ氏、ハート氏に思わせ、挙句メル友になる】という野望は、それほど遠くはないのですよ!

これは楽観的推測だけれど、ハート氏はweb系のでっかいプロジェクトの発起人だったりするわけだから、きっと「Multitude」でググってみてるに違いない。

で、あるからここで頑張って漫画部分に英語の解説を入れればカンペキなわけだ。
グフフ、グフフフフ。


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「対象a」を説明してみる

 「なんとなく★ぼんやりと解る」シリーズの新ネタとして「対象a」を追加しようかと思ったりしている。

というのも、“新書で手に取りやすい”位置に東浩紀や斎藤環とかが名を連ねていて、「対象a」という語が良く出てくるにもかかわらず、熱心に読もうと思っていない読者にとっては大変に解りづらい概念だろうなぁ、と思うからだ。

と、いうことでホントにざっくり、しかも乱暴に図にしてみたんだけど、こんな説明で差し支えないんだろうか、と不安。

Taisyo_a_3


ピンクの範囲と青い範囲の 差 の部分である「ココらへん」が “おっぱい” とか “まなざし” とか、いろんな象徴を採って現れるよ

という説明を加えてさくっと終わらせたかったりするんだけど、どうにも不安なんだよね。

だってほら、「鏡像段階」とか「去勢」とか「<想像界><象徴界><現実界>」の話とかを先に、もしくは一緒に“ぼんやり★”やらないとイケナイっぽくない?
 ただでさえぼんやりしたラカンをさらに“ぼんやり★”させるのも、コンテンツ化させるのも大変にメンドクサイ (というか“なんとなく”では終わらないっぽい)ので、「対象a」は「対象a」としてすぱっとやっちゃいたいんだよね。

だから「これでいいんじゃね?/よくないんじゃね?」というコメントが欲しいのです。
どなたかよろしくお願いします。

■■

 来年のweb上でのテーマは「人文ブログ界の小林カツ代(手早くできるレシピがメイン)」ということでどうぞよろしく。

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Songs from the Crystal Cave/スティーブン・セガール

 はやしさんのブログに、直接僕を名指しするエントリがあったので見てみると、こんなだった。
 折角の“フリ”なので、ここはレビューをさせてもらおうかと思う。


 このイングヴェイ・マルムスティーンを髣髴とさせるジャケを見て欲しい。

両者が活躍する土俵は違うけれども、その「オレオレ感」と「やりすぎ感」においてとてもよく似ているように思う。
マルムスティーン氏は「HR/HM界のセガール」と呼んでもそれほど強烈な反対は聞かれなさそうではあるし、逆にセガール氏を「ハリウッドのイングヴェイ」と呼んでもやはりそれほど反対は聞かれないのではないか。

 セガール映画を観ている人間の多くが、虫ケラのように殺害される悪役に対して同情の念を禁じ得ないのと同様に、イングヴェイのライブ等を観ている時に少なからぬ聴衆も、その後ちょっとした理由でトラブルに巻き込まれてクビになるであろう他のメンバーに同情する。

それでもなお多くの人々は、彼らを見放す事はないのである。

それは多くの人々にとって“常にすでに”失われた「オレオレ感」と「やりすぎ感」への羨望(それは母胎内にて味わっていた万能感と言い換えてもいいかもしれない)であると言えないだろうか。

と、エセ精神分析を加えつつ書いているわけであるが、セガールに¥4,474は高いのできっと買わないと思う(見た瞬間「高っ」と叫んだ)。
 あ、でも好きな人はどうぞ。

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ぼんやり★なんとなく解る


そういや何も言わずに創ってた「蚊柱」というサイトがあって、更新記録すらメンドクサくて直してないんだけど、「なんとなく★ぼんやりと解るシリーズ」というのを始めてみた。

初回は<帝国>とマルチチュード。
漫画にするのに「ぼんやりと★」わかるように常に考えていたので書きやすかったのでコレからはじめてみたの。

 書いてみて思ったのだけど、ネグリ&ハートの考えって言うのはやっぱ楽観的過ぎるよな。(相互の影響を意識した)コミュニケーションというものに慣れていない、もっと言うと議論する事や“何故なのか”と考えをめぐらす事に慣れていない人々を考えていないと思うんだよね。
 そこらへん、大昔にマルクスがルンペンプロレタリアートの人々を革命の主体から除外したのを思い出す。特に納得のいく理由のない差別的な除外のような気もする。

 まぁ、他人の書いたものは咀嚼して【俺フィルター】にかけてナンボだと思うので小言を言ったってアレなんだけど。

次は何書こうかな。
「なんとなく★ぼんやりと」書けるものってあんまりないんだよな…。
誰か書いてくれる人ボシュー。



 美容院の人に「2ヶ月でこんなに後ろ髪重くなる人初めて見た」と言われる。
奇人っぽくていや。


■■
 
 ケーブルTVで“シャーロック・ホームズの冒険”を観て思ったんだけど、アイツさ、“シャーロック・ホームズの冒険”というタイトルだからか主人公(という人物)のように思ってしまいがちだけど、アイツ、登場人物っていうより舞台装置に近いように思わないか?

(人物としての)本当の主人公はワトスンであり、ワトスンはホームズと言う装置を通して事実を認識すると言う仕掛けになっているのではないか。
 【神を通して世界を認識する人間】って感じに近いかな。
現代では【神】じゃなくて貨幣に置き換わってるけど。
近くね?近くね?

ってか僕の喩え方がジジェクに近くなってね?

■■■

 ってかだれか僕に仕事ください。

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関羽マン


 さっき(最近三国志づいてきた)ツレと話していて、ゆでたまごのマンガに「関羽マン」って感じの超人がいてもおかしくないよな、と思ったのでちょろっと描いてみた。

Kanu_man

パンチのない感じを見て、登場しない筈だよな、と思った。

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リハビリ

 我ながら沢山の喜びや悲しみを日々味わっているのであるけれども、しばらく「書くこと」をしていないと、その沢山の喜びや悲しみを文字にする事ができなくなってくる。

これはいけないと思いつつのリハビリなのであるが、どうにも筆が進まない。
と言うのも、僕にとっての大きな喜びと、その直後に大きな悲しみがあったためで、つまり混乱中なのだ。

こういう時には“筋が通っているかどうか”は二の次(というか無視)して文句を書きたいほう題するに限る。そうしていると<何か言っている感じ>がして感が戻ってくる。

と、いうことでweb上で喧嘩しても3日後には仲良くしてくれてそうなこのおっちゃんのこのエントリへ文句言いまくり。

==クダマキ開始==

てめえコノヤロウ。人差し指で鍵盤叩いて、故G・馬場みたいに「ぼくにもできた」とかいってんじゃねぇぞ!
デスペラードとか言ってねぇで、変なクセつく前にどうせならバイエルからはじめやがれ!
あとコノヤロウ。義務教育でならった音楽の知識はあらかた捨てやがれってんだこのうんこぷりぷり野郎!あんなもの役にたたねぇぞ!「音階ってドからドまででしょ?」とか世の中にCメジャーしかないような事言いやがったら手加減なしでキーロックかけるぞ!
転回した和音で弾きづらかったら遠慮せずに両手使え!片手で弾くのは指が開くようになったらにしとくんだな!指が開かない状態でショパンに手を出そうもんなら指どころか肘から先がつるんだよこのやろう!マジいてぇよ!

ってかお前本題に入るけどよ、「戦場で闘いに明け暮れる兵士」ってお前普通に餅つき大会とかに出てなかったか!?
“政治的分野”への意識や社会への問題意識がまだ少しでも残っているのなら、少しずつでもいいから“物を言うもの”へ復帰するべきだな。
何故なら、お前さんが散々評価したネグリ氏の説く“マルチチュードの可能性”は、その“マルチチュード”全体に政治的感覚というか、議論の土壌が無ければならないわけで、(あればフツーにこのブログなんか人気ブログになっているだろうよ!ケッ)その成就を日本という文化圏にもたらすには、まずはその議論の土壌を醸成しなければならない筈なんだよ!
いやつまり、議論(というよりも個々人の認識を確認する行為)が無いまま“グローバリズム”と言われるイデオロギーが旧来の日本型のローカルな価値観を組み替えた結果、旧来からの悪弊を引きずったまま流動化、あるいは二極化をもたらし、さらには反動的な“人治主義のウンコ”みたいなのが勢いを持ったりしてとても気持ちの悪い世の中になっていくだろうと僕は言いたいのだ。
(本来ならあのゴミが「美しい国」と言った時点で民衆は疑問を口にしないとおかしいんじゃないかと思うんだな。)

なんとしてもそれは阻止したい(と、おもってるっしょ?)という気持ちが少しでもあるなら、今からが勝負だぞ?
ってか、練習用に電子ピアノ買うんだったらヤマハかローランドかって事になりがちだと思うんだけど、僕はどっちかって言ったらローランドの音のほうが好きかな。

==クダマキ終わり==

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「ものぐさ族の最後」の最後


 「ものぐさ族の最後」の最後である。

僕はこれまで「パーはパーなりに考えて発言しなければならない」と言う一心で書き殴ってきたわけで、後から後から「自分で書いといてなんだけど、あれは間違っているよな」的なものもいっぱい出てきたりして、そんなこんなで忙しくなってきたりして、“フニャコ”でいる余裕がなくなってきた。

そういえば、このブログを書き始めた時にはすでにツレと付き合っていたなぁ。
このブログは常に「ツレと遠距離」という状況下で書かれていたわけだ。
去年はツレの住む富山に引っ越してしまうと言う大技をかましたのだけれども、その甲斐あって今月16日から東京で一緒に生活し始める。
「フニャコ」という名前と、それに伴うエクリチュールは「ツレと遠距離」という精神的な苦難とセットだったわけだ。そんでもって僕の苦難の形は変わる。どんなに幸福な人生にも常に苦難は伴う。

生きる事は戦うことさ」(キャプテン・ハーロック)

 節目とするのに丁度良いタイミングなので、フニャコは宮本さんの“死の勧告”に従って「死ぬ」事とした。いや、寧ろ既に死んでいた。
フニャコの中の人が、「フニャコ登場時」と比べて別人のようになってしまっているのだから無理に続けてもどうしようもないだろう。セットになっていたものも無くなるのだから、もはや「フニャコ」ではない。

と、言うわけでフニャコと仲良くしてくださったみなさん、どうもありがとうございました。とても楽しい数年でありました。ここで出会った人々と、某掲示板からの付き合いの皆さんとのおかげで、(方向は別として)飛躍的な成長ができたような気がします。

それでは、どうもありがとうさようなら。

追伸

 ログは残しておきます。
僕を奮起させ続けた多くのツッコミがありがたくて、消すに消せないからです。
全く、未練たらしい男であります。もうしわけない。

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【貧乳】の東洋思想的解釈

 
 「貧乳」という言葉がある。
ふと思ったのだが、これはとても奥深い概念だといえる。

例えば、男性には一般的に乳房はないから胸板は平坦でも「貧乳」とは言わない。
一方で、「男性と同じくらい」乳房が無い女性が対象である場合には「貧乳」と呼び、「無い」と端的に言うことは無いのである。
という事は、「女性=乳房がある」という図式を人々は疑うことなく信じているのである。
その人を「女性」と信じているからには「無い。しかし有る」という事になる。
(=で繋がっているからな)

【色即是空 空即是色】なのである。
老荘で言えば【無用の用】である。

つまり「貧乳」とは東洋思想を象徴する偉大な概念なのである。
「貧乳」という言葉を生み出す大衆文化の中にいることを誇りに思う。

ただ惜しむべきは「貧乳」という言葉をよく使用する人間と「貧乳」の人が、この偉大さに気づいていないという事である。そして「そういえばおっぱいが巨大化し始めたのは60年代末頃からだよな」と気付きつつも、それを敢えて無視しようという僕自身も、とても惜しむべきである。

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Over the Hills and Far Away


 宮本さんにいつも通り「死ね」と言われ(ってかたまには違ったことを言ったらどうなんだ!いい加減ソレ系から離れてみたらどうだ、ん?)、僕でなくPCが死んだ。
復旧に時間が掛かった(っていうか作業する時間があまりなかった)のと、やる気が死んだのと、二年ぶりに愛するギターを組み立ててプラグ磨いて弾きまくって、しかもイタバシさんからベース借りて弾きまくって、新しい部屋探して、ドライブしてU-CANの行政書士講座踏み倒して、「フニャコ死んだことにして違うとこでブログやろうかな」とおもいつつ面倒くさかったりしてやめて、酒飲んで今に至るわけだ。ちきしょー。

そんでもって時系列的にはイマサラなんだけれどフィンランドのNightwishなるバンドにハマっている。
ボーカル替わったらしいけど、この人の声、泣ける。酒飲んでるとぼろぼろ泣ける。
なんか「ああ、本当は関係ないんだけどこの人に守られてる気がする」感がある。

思うに、「クラシック」という呼ばれ方をするジャンルの音楽全般は、キリスト教的信仰心が消えていくのと同時に消えて行ったのではないか。つまり世界から「あ、本当は関係ないんだけどこの人に守られている気がする」感が消えていった事は、信仰心や音楽その他へ深い影響を与えているのだろうと思うのだ。
そうして「神の死」からしばらく経って、今なにかその「あ、本当は関係ないんだけどこの人に守られている気がする」感は復活しようとしているような気がしてならない。その復活は様々な形を試しているように思われる。それは「右傾化」という形を試みたり、「ウェブに退避場所を確保」という動きや、「反グローバル」という形や「エコロジー」という新たな信仰の形をとったりしている。
「自由主義」という美名を纏った世俗からの(内在化された)強い命令に反抗を試みるツールとして使われようとしている。
多くの人間は、「選択は自由だけど残念な結果は自己責任」という"実質的には命令”(つまり自由に見えても結局はひとつのルールの中でひとつの目標を追わされる)である支配的なイデオロギーに耐えられなくなっているのだろう。そりゃそうだ。命令の主がわからない(内在化されているからな)のは大変に不安を伴うものな。
だから何ってわけじゃないんだけど、今のうちに予言しておこう。
じきに神は復活するだろう。

〓おまけ〓

Gary mooreがやると


芋くさいこの曲がNightwishにカバーされるとこうなる。


ってか、いくら「傲慢」だとか「熱意がない」ように思えても僕だったらこの人をバンドから解雇したりしないな。

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僕のイラつきは、事象の向こう側にあり、表面もなお僕をイラつかせ、また僕をして機能させる


 「尻」だとか「胸」だとか、エロい身体の部位というのがある。ふざけている。そういった部位にエロさを感じるというのは、基本的に対象を「モノ」化しているのだろう。フェティッシュとされないフェティッシュといえまいか。相手という存在を引き受けてベッドに入るならば、そうそう諸部位のレベルに単純化してエロさを感じる、などという事など出来ない筈だ。あまりの重さに引き気味になるのが本当であるはずだ。そこら辺でナンパして、ひょいひょいとやってしまうなんて事は、相手をモノとして見ていなければ不可能であるはずだ。
月並みな物言いではあるけれども、敢えて言う。我々にはSEXなど言うほど必要ない。
恋愛なども言うほど必要ない。それらは、我々が求める“悦び”の代替にしか過ぎない。求めているものそれ自体ではない。恋愛やらSEXやらと言うものは、信仰に類するものだ。全く信心深い者の多い事だ。信心深い人々は「神」の恩恵に浴していないチョンガーを哀れむ。時に自らをチョンガーとして哀れむ。馬鹿め(笑)
試しに「自分は誰と(いや、寧ろ“何と”)寝ているのか」自問してみたらどうか。
 既存の宗教そのものを見ても、本当に必要としているものは「神」ではない。「神」などと言うものは予測不能で理不尽なものをモノ化した代替物にしか過ぎない。人々は自分たちを取り囲む代替物を疑うことなく信仰の世界に生きている。そして遠距離恋愛であるのに、またツレがこれを読んでいる可能性もあるのに、こんな事を口にする僕のような「異端」は煙たがられるか、憐れみという施しを受ける羽目になるのだ。そして僕はお返しにそういった人々を「見下す」
「異端者」は、そもそもの動機や発端を蒸し返し、ラディカルな形で回帰しようとする。それはこんな風に育ってしまったのだからそれはもう仕方ないのだ。「見下し」続けるしかないのだ。無数の人間関係の結果が(言い換えれば社会からの影響の末に)このようになったのだから、そのようにするのが「恩返し」であろう。
僕もまた「異端」なりの神を信じているからこそ(どこかに正しい論理があると信じているからこそ)行く手を阻む、少ない時間、痛めつけられた眼球のつらさ、周りの騒々しさ、「他者」の視線とを掻い潜りながらこうして書き続けなければいけないのだ。

<--独り黙考する時間が欲しい。音楽をやる時間が欲しい。放っておかれる時間が欲しい!!いつ読書をする?いつ曲を作る?いつものを書く?いつ考える??いつ「生きている」というサインを出す?くだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらない。「フニャコ」はもう死にそうだ。仕事をして帰って来てただボーっとする虫みたいなのになっていくような気がしてたまらない気持ちになる。生ける屍。ただのねじ。それは僕にとって生きているといえるのか。言えない。死だ。死。でもご安心。身体はぴんぴんしている。水をさすようだけど「まずは生きること」ってのは、一方でこういうことでもあるんだよ?-->

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眠いけどこれは言わなければなるまい。

戦没者妻への給付、400億円時効=電算化時に未入力、通知されず-厚労省

 政府が戦没者の妻に10年に1度支給している特別給付金が、1993年と2003年の支給の際、延べ約2万1000人分、計約400億円が支払われないまま時効になっていたことが18日、分かった。

 厚生労働省は「対象者への周知方法に問題があった。今後は通知が行き渡るようにしたい」と話している。

 特別給付金は政府が夫を戦争で亡くした妻に対し、精神的苦痛を受けた代償として、63年の制度開始以来、これまで5回、国債の形で支給。93年は180万円、03年は200万円を支給した。

 同給付金は原則本人からの申請に基づき給付するが、国は申請漏れがないよう対象者に郵送で通知している。

 厚労省によると、国は85年、都道府県の紙の台帳にある対象者の住所や氏名などをコンピューター入力し電算化したが、同年以降に申請した人のみを対象にしていた。このため、以前に申請したが、同年以降に申請しなかった人はリストから漏れ、通知がされなかった。 

[時事通信社]6/18

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国の為に死んだのにね。決して無駄死にではない(と信じたい)のだろうけど、これでは浮かばれまい。この事は決して忘れてはいけない。年金のほうのドサクサに埋めてはいけない。国がどれほど美辞麗句を並べても、もう二度と信じてはいけない。信じて死んでこの扱いをされるのだからね。

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また【一週間のまとめ】


 更新していないね。「放置」だねこれ。
でも別に「仕事が忙しくて」と言うわけではなくて、書くに書けないんだな。ネタがなくて。と言うのも、(何かを言わんとする)誰しも時々陥る状況だろうと思うんだけど、一応何でも説明出来きるくらい色々な思考方法が身についちゃったような気がして、しかもそのせいで物事に不感症になっちゃったりして、っていう状況なんだよね。ほんとは説明なんか“一応出来る”だけで、他者を説得するに足りるものではないというのはわかっているんだけどね。しかも“一応説明できて”も誰かの焼き直しなだけで特に刺激的なことなんか言えないのだ。全く持ってダメ。

 最近の僕が薄っすら考えている“なんとなくな持論”として、【『高度経済成長的な勢いのある雰囲気』が減退したのは宮沢りえがきっかけになっている】というのがある。
内訳は次の通りだ。

・それまでの日本社会は、欲望に対して比較的厳しく隠蔽する力が働いていた。
(最も顕著なのが性的なものに対する隠蔽だった)
・それ故に『働いて金さえ多く獲得すれば隠蔽されたものを味わい放題』という幻想が働き
・それが活力になっていた。
・しかし、宮沢りえによってその代表的な隠蔽の対象である性的なものの露出が一線を越え、そこから前に進むのと反比例して活力は失われていった。

という事である。
平たく言うと、「『毛』見たさに頑張っていたのに、たかだか数千円の写真集で見れるようになっちゃった」ので脱力してしまったというわけだ。
ここでは象徴として「宮沢りえの毛」を使ったけれど、なんというかつまり「エロ露出」が多くなるのと【活力の減退】とに相関関係があるのではないかという事。
もっと言うと、「エロに飢える男」が実は【女性の身体そのもの】を求めていたのではなくて、自らが常に欠き、絶対に自分のものに出来ないものをもった他者との関係を求めていたのだという事を知らされてしまったのだと思うんだな。
それまで隠蔽され、非日常化されていた「エロ」は日常的になり、ありふれたコミュニケーションに還元されてしまったのだろうと思うのだ。
そもそも人間にとって「エロ」は、必ずしも生殖を目的とせず、他の動物とは違ってコミュニケーションという次元を常に伴っていた。それが暴露されてしまったのだろう。
(頭の悪い政治家が「エロ」と「生殖」が同次元であるかのように発言するのをみて滑稽に思えるのはそのためだろう)
 これは個人的には大いに歓迎する。何故ならそう言った、多くの人々にとって逃げる事の出来ない欲望を使って大衆をコントロールしようという、そういった支配の手段が一つ潰ぶされたという事を意味するからである。

「エロ」とは隠蔽してこそエロいのである。

■■

 こんな記事ハッケン。

<こんにゃくゼリー>事故相次ぐも、各省は法的措置取れず

6月17日19時34分配信 毎日新聞

 こんにゃくゼリーによる窒息死事故が相次いでいる問題で、消費者団体などから製品の回収や販売禁止を求める声が高まっている。しかし、食品に衛生上の問題がある場合は厚生労働省が回収などを命じるが、食品衛生法には窒息などの事故に関する規定がなく、同省は回収命令などは不可能との立場。農林水産省や経済産業省も同様の理由で強制力ある措置を取れず、制度上の不備が明らかになっている。
 こんにゃくゼリーによる窒息事故は、商品が普及した90年代半ばから発生。国民生活センターによると、95年以降に約40件発生し、6歳以下の乳幼児5人と60歳以上の高齢者3人、40代の女性1人が死亡した。今年3、4月に7歳の男児2人が相次いで窒息死し、改めて関心が高まった。
 対策強化を求める消費者の声に対し、厚労省監視安全課は「食品衛生法で販売禁止や回収を命令できるのは、食品に腐敗や有害物質含有などの問題がある場合だけ。のどに詰まらせるのは、あめや餅と同じで規制の対象外」と説明する。
 食品表示に関するJAS法を所管する農水省は先月下旬以降、全日本菓子協会など関係3団体に再発防止を求める文書を出したが、「処分できるのは品質表示基準に違反したもの」(表示・規格課)と話す。欧州連合は03年、ゼリーへのこんにゃく使用を禁止したが、同省特産振興課は「コンニャクイモから精粉したグルコマンナンは欧州では食品添加物扱いなので規制できるが、日本ではこんにゃくの原材料として使われているため禁止できない」としている。
 消費生活用製品安全法を担う経産省も「食品は農水省や厚労省の分野」と所管外を強調する。
 こうした状況を主婦連合会(兵頭美代子会長)は「今回の事故はこの間の行政・業界・企業の取り組みが全く効果のない対症療法的な措置だったことを示している」と批判。食品、日用品などの種類を問わず、すべての消費生活用品を対象とする強制的リコール制度の導入▽官庁や業界の枠を超え一元的に事故防止策を講じる「事故防止センター」の設立――などを求める要望書を、安倍晋三首相や柳沢伯夫厚労相らに提出した。
 3月に学童保育のおやつでこんにゃくゼリーを食べ窒息死した三重県伊勢市、村田龍之介君(当時7歳)の母由佳さんは「(こんにゃくゼリーが)10年前になくなっていれば息子の事故はなかった。命を危険にさらす商品はなくなってほしい」と訴えている。【望月麻紀】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070617-00000033-mai-soci
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馬鹿すぎ。
我が子を失った親は取り乱しているのであろうから何も言わない。なくなった子の冥福をただ祈るばかりだ。
が、

【主婦連合会(兵頭美代子会長)は「今回の事故はこの間の行政・業界・企業の取り組みが全く効果のない対症療法的な措置だったことを示している」と批判。】

という件はどうかしてるんじゃないか。
そんなこと言ったってどうしようもないだろう。判ってていっているのか馬鹿なのかどっちなのか判然としない。
そもそも僕が何にムカつくかと言えば、「現実」は危険で満ちているという事を判っていないのがムカつくのである。
人間は死ぬのである。しかもひょんな事で死ぬ事だってあるのである。
箪笥のかどに頭ぶつけて死んだら、「行政・業界・企業の取り組みのせい」になるのか?リコールすんのか?箪笥だったらまあ百歩譲れない事も無い。
他にいっぱいあるだろう。人参が刺さって死んだら人参禁止か?
花壇のふちとか危ないぞ。ガードレールだって頭ぶつけたら死ぬ。自動車を全部回収したほうがいいな。年間でかなり人が死んでいる。川や海も出来るだけ埋め立てた方がいいし、水道から水が出るのも危険だ。電気だって感電して危険だ。
営業職なら経験している人もいると思うが、コンビニで売っているのびた蕎麦を急いで食べると窒息しそうになるぞ。

「現実」は常に危険であって、僕たちが平気で生活していられるのは「平気だ」と【想像】しているからに他ならない筈だ。
僕はこういう【想像】の世界に安住して、そこから「予防」を叫ぶ人間は危険人物だと思う。こういうやつが街中に監視カメラを設置して回るのだろう。
嫌なことだ。

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ウド!ウド!

ウド!ウド!

僕からすれば、カイハンセンもHAMMERFALLの人もどうでもいいんだ!
ウドがフルに歌う「I want out」を聴いてみたい!
多分ほんとにoutしたい感じに聞こえるに違いない!

ってかウド御大をコーラスだけに使うな(笑)

あ、ついでにウド御大を知らない人のために念の為乗せておくけど、普段のウド御大はこんな感じだ。

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ATLSとまってます。


現在、ATLSが閲覧できません。
サーバ代を払うのを忘れていて止められちまいました。
運の良い事に数少ない休日が明日なので、払っときます。月曜には復旧するんじゃ無いでしょうか。

んでもって正直に申しますと、どなたか奇特な方がいらっしゃいましたら小額でもカンパして頂けるとありがたいです。年間6500円程度でも、僕の現状では一括だと非常に痛いのです(情け無い事ですが激痛です:苦笑)。
奇特な方がいらっしゃったら、メール下さい。
あ、でも「全部払ってやる」なんてのは止してください。
メールアドレスは、左のメニューの下のほうに書いてあります。

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今週の雑感をまとめて(笑)


 お給料が入ったので「芸術とマルチチュード」購入。1800円だったかな。
本編に目を通さず、あとがきみたいな感じでハート君が書いた文章に目を通して購入を決めた。
でもネグリの一人称が「ぼく」。
えー。なんか違和感あるな。
きっと「ちょっと夢見ちゃってるところがある」(いい歳してこんな感じなのが大変に魅力的なんだけど)ところから「ぼく」としたんだろうけども、うーん。
 これは古くて新しい遊びに出来るな。外国人の著者の一人称遊び。
ハイデガーの一人称は多分「我輩」。んで語尾が「ぞな」。
サルトルは「あたし」だなきっと。んで時々「だまらっしゃい」とかいうの。

 =僕の妄想する「もしサルトルが日本人だったらこんな口調」=

(浅草の飲み屋の二階座敷にて『実在主義とはなにか』を口述していたら)

あたしはね、あたし自身が無神論的実在主義ってぇのに属すと愚考いたしますのでね・・・・、おいちょっと君失敬だな。人の話は黙って聞き給えよ全く。あー、ともかく無神論的実在主義ってのはいっそう論旨が一貫していると思うんだね、うん。たとえね、神さんなんかが存在しないってぇとこでね、実存が本質に先立つところのね、あ、君、お調子切らしてるよ。気が利かないね。君は江戸っ子かね。なに?青森で生まれたって?へえ。気が利かないと津軽人とは言えませんな。ん?そんな事は聞いた事がないと?だまらっしゃい。
(以下略)

==

こんな感じだと思うな。
まぁ、兎に角訳す時には一人称ってでかいねぇ。

 松本零士先生に申し上げます。
貴方はキャプテンハーロックに頼りすぎです。
「銀河鉄道999」の各劇場版において、大ピンチ時(大抵機械化惑星でメーテルの母と対峙してるところ)に必ずアルカディア号の襲撃がきて、こともなげに惑星ごと廃墟にしてしまうのはどうかと思います。「鉄郎&メーテル」のコンビ云々はただの前フリですか。最初からハーロックで映画作ったほうがいいんじゃないですか。
あ、あと「999」は最初の一作目で終わっといたほうが切なくて良かったと思いますし、「青春の苦しさと美しい幻影」というテーマから続編製作の度に「革命の話」になっていくのはどうかと思います。ゴダイゴの歌った「あのひとはもう思い出だけど」みたいな甘い切なさが台無しです。

 そういえば、先生が先日お怒りになっていらした「著作権」の話を蒸し返すようで申し訳ないですが、「著作権」という問題そのものが先生が大きなテーマとして矛先を向けようとなさっている「退廃したふやけた現代」に連なるものであろうと僕は愚考します。
鉄郎やトチロー、ハーロックにエメラルダスが、今まさに敵と為すべきなのは、こうした「既得権」にぶら下がって豚と化す人々ではないでしょうか。
現代の「宇宙海賊」たちがすべき事は、積極的にパロディや同人誌などの二次製作を生産し、裾野を広げ人々の想像力を掻き立てる下地を固めてゆく事です。全ての作品は必ず何か別の作品からの影響を受け、それを発展させた形で現れます。
 極端な話、もし「C62」機関車をデザインした人が権利を主張し先生に対して「そのフォルムを使用した作品で営利を求めるのは不当」と申し入れたらどうでしょうか。
先生の作品における「黒騎士ファウスト」は僕にはどうしてもダースベイダーに見えて仕方ありません。“父と子の対峙”という構図もまさにそれでしょう。
「権利者」によってそこを主張された時、先生ならどうなさるでしょうか。先生の想像力を拘束する結果になりはしないでしょうか。

 この頃「著作権侵害を非親告罪とする」動きがあります。この取締りにこそ規制をかけなければ、「良い作品」は激減していく事になるでしょう。
現代の「宇宙海賊」はこうした人間の想像力そのものを減退させる可能性すらある過剰な「既得権」や、それによって肥え太る非権利者、例えばJASRACのブタどもに抵抗していかなければならないのです。
 既得権を囲うブタどもの組織力と政治力はとても強力なものです。
しかしハーロックならこう言うでしょう。
「漢には、例え負けると判っていても、戦わなければならない事がある」

先生、貴方には想像力の源を守る使命がある筈です。
その使命に向き合わなければ、先生が劇場版でお使いになられた「未来をよろしく」という言葉に、これ以上無い偽善性を与える事になります。どうかそこの所をよくお考えになって、未来の事を考えていただければと思います。

==

というメールを出そうかな。どうしようかな。

■■

 独りの時間が無い。独りでなくてもいいけど、落ち着いてものを考える時間が無い。常に何かに追い立てられて、何かに「合わせていなければ」ならず「誰かの都合に合わせていなければ」ならないようだ。しかも性質の悪い事に僕自身がそれに順応して「合わせる為に待機」してしまっていたりする。近々僕は壊れるだろう。が、それ自体僕の知った事ではないし、自覚が無いだけで既に静かに壊れている可能性も大きい。それでも死ぬまでは生きていなければならないわけで、なんにせよ、知った事か(笑)。誰が悪いわけでも無い。とりあえず各自、僕をみて苦笑するといい。ここに馬鹿がいる。指をさして笑うといい。ひとまずそれが「癒し」になるんじゃないのか?

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書きたい衝動には抗えず、特に纏まっていなくても書きたい時には書きたいのであって、それ以外のなんでもない


 なんかさ、池袋ジュンク堂のフロア割りがアレなんだよな。
僕の我侭でしかない謂い様なんだけど、例えば4F「人文書」フロアにジジェクの本をチェックしにいくとする。ハードカバーのやつね。でもほら、ジジェクでも最近は新書のヤツが数冊あったりして、それもチェックしようとすると今度は3Fだったかに行かなきゃいけなくなる。メンドクサイ。ってかウロウロしちゃって怪しい客と思われるんじゃないか、とか考えちゃったりして。まぁ「横に広い」わけじゃないから仕方ないんだろうけどね。
給料日が来たら「芸術とマルチチュード」か、松岡正剛のなんだっけ。新しいやつ。買う買う。


まつや(主に牛丼豚丼とかの)三昧。行く度に「野菜無料」とか「ご飯大盛り」とか「卵無料」とかのサービス券をくれるので行ってしまう。いや、それよりも愉しいのが、インドかその近所出身と思われるおばちゃんが味噌汁を持ってくる姿がたまらなくイイ。なんかわからんけど余計にありがたく感じる。
僕も「やむなく海外に住まなくてはいけない」事になったらインドでカレーを出すとかしたい。

■■

 ジジェクの本で映画を例に出したりする時、実際にそれを観てないとほんとわかんないな。ジジェクの本を買う時には、レンタルDVDの値段も考えておくべきだと思った。

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エロと資本


んー、いつも思いつきで物を言っているけれども、今日も思いつきで言う事にする。

池袋にていろいろ派手なお姉ちゃんとかを目の当たりにしていてふと思ったんだけど、資本主義というものはエロによって動いている筈なんだよな。ちょっと考えれば「エロによって動いている側面がある」という部分はすぐ思いつく事だろうと思う。
「何故オシャレをするのか」「何故カッコよくするために努力しなければならないのか」等々のことを思い浮かべれば納得のいく事だろうと思う。全員が全員「オシャレな感覚」を持ち合わせているわけではないのに、多くが無理してオシャレしていたりするわけだから、「オシャレ」そのものへの欲求だけではなく、何か他の別のものが【着飾る】と言う行為に関与している事は明らかだ。
つまりエロだ。ここで言うエロとは「生殖と分離されたレジャーとしてのエロ」の事だ。

どういうわけだか、「倫理」やら「道徳」の名の下に「女性をモノにする」と言う事に金がかかってしまう事になった。つまり「結婚するか、一晩買うか」という二択になったのだ。
家父長制の感覚で言えば「結婚する」と言う事はつまり「食べさせなければ」ならない。金がかかる。だけどそれが嫌だからと言って「【レジャーとしてのエロ】を実行したくなったらその都度買う」というのもやはり金がかかる(しかも独りだと基本的に寂しいという別の次元での不利益がある。人によってはな)。

結果的に、ではあるけれども(だろうけれども)、資本主義をダイナミックに動かす為に異性との関係は「金のかかるもの」として固定されているのだと思うのだがどうだろう。
 今宵もまた言い過ぎるとするならキリスト教的「倫理」、より具体的に言えば「オナンを叱り付ける」倫理の残滓が資本主義を駆動している。
「結婚するのは子孫を増やす為で、姦淫をなしてはならず、婚前交渉は許されない」という価値観のことである。世の中にこの価値観が濃厚に残っている状態で、しかも家父長制的価値観が加われば、性的な衝動を解決するためには「食べさせるか、買うか」の二択を強制される。

■■

昨今、地域の人間とのコミニュケーションが希薄になり、人と人が分断されている事を意識する事が多い。それは「資本主義の暴走」であるとされる事が多い。しかしだ。明治以前だって基本的に資本主義だったのではないか。江戸の町民の大部分が性病持ちで、長屋の子供の父親が誰だかわからない(つまり暗黙のフリーセックスだ)。そんな中でつい最近まで「他所の子に介入する」見知らぬ大人もいたではないか。これは「資本主義が暴走したせい」だけではないと言える事なのではないか。

 ここで僕は突然だけれども「家父長制的価値観」と「キリスト教的倫理」と「資本主義」が共犯関係となり、それが加速する事により所謂「資本主義の暴走」は完成されるのだと言い過ぎることにする。
モテなくても、金がなくてもそのへんで性的な欲求を手軽に解消できるなら、果たしてここまで資本の支配力が高まるだろうか。

■■■

 「暴走」を抑える手っ取り早い解決策を提案しよう。
上の三つの条件のうちどれかを、徹底して破壊すればよい。
徹底して家父長制を破壊するもよし、徹底してフリーセックスを楽しむもよし、資本主義を否定してもいい。どれかをやれば、少なくとも今の「暴走」という社会不安は消えるだろう(また別の不安が出るだろうけど:笑)。

【「言い過ぎ」であっても断言は避けたい項目】

・「資本主義が限界に近づいているように見える」のは、性が開放的になりすぎているからであるという事。

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大変申し訳ない。


 沖縄のおじい、おばあ。捨て身の抗議中だそうだね。すまない。僕も生きなければならない。食べていかなければならない。
 この先産まれてくるみなさん。すまない。やはり僕もこれまでの人間と同じで、守るものがあり、捨て身になれなくなった。すまない。

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お買い本


 何かあちこちのブログでみんなして「お買い本」「お買い本」言ってるので、なんだか僕もやらなきゃいけないような気がしてきた。ってか、久々に本を「えいや」っと買ってテンション上がってるってだけなんだけどね。
せっかく職場の近くにジュンク堂があるんだから買い物しないと損(でもないと思うんだけど、手にとって買うチャンスってアマゾンのおかげで減ったしね)なので、買っちゃった。

汝の症候を楽しめ―ハリウッドvsラカン

 まぁ、とりあえずジジェクだろう。この場合、いい意味で「ジジェクはいつも同じ事を言う」のだろうし、期待はしていいんじゃないかしら。と思いつつ、前書きだけささっと読んで購入。ジジェクの本は全部は読んでいないのだけれど、なんとなく(ジジェクを通してだと危険な臭いはするのだが)ラカンをはんなりと咀嚼できてきたようなきがするゾーォ。
てか原典読めって話だよな(笑)。

ついでにこの前コメント欄で教えていただいた今村仁司氏の本をちらっと立ち読み。
あー、僕「知ってそう」だわ(笑)。



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池袋にて(死んだ筈の)あの人を目撃

 昼休みに(実は就職してたの)池袋の駅前をフラフラしていたら聞き覚えのある声が大音量で聞こえてきたので振り向いたら、私立探偵ともみ合って滝つぼに落ちて死んだ筈の中坊さんが街宣車の上で演説をしていた。「ははん。右翼に転向したのか」と思っていたのだけれど、演説の内容は次のようなものであった。

「諸君。単刀直入に言うが、我々は貧しい。我々を圧迫する【富める者】は様々な価値を金銭という数字に置き換えて考えるように、多くのものを単純化して見る。我々はこのものの見方を押し付けられ、自身への憎悪を強いられているのだ。相対的貧者である我々自身が、その【相対的貧困】を恐れ、嫌悪し、【富める者】のゲームに無理矢理駆り立てられているのだ。 ……貧困こそ力なり!! 貧者はそのような見方をしない!貧者と「貧しきもの」とは違う存在である! “汝、武器を取れ”と言われれば、単純化された視点を持つものは、“武器として定義された”ものを取ろうとするだろう。しかし貧者は常に身の回りにあるものを“武器”として再定義し、そうして立ち上がるのだ!どちらが人間として豊かであるか!強力であるか!それは自明である!私の言葉を聞く事が出来る者は、まず自身の存在を武器とせよ!強力な貧者であれ! 彼らのゲームは、我らが降りれば破綻するのである!貧者よ目覚めよ!覚醒せよ!諸君らは、自身の存在と、能力と、そして情動とを武器とせねばならない。特定のイデオロギーの奴隷に成り下がってはならない。既存の左翼や右翼を相手にしてはならない。彼らは諸君らの目を晦まさんとする存在である。望ましい未来は、諸君ら自身の強力さによって開かれるのだ!真の民主主義を打ち立てる時は近い!貧者よ覚醒せよ!人間に未来あれ!人類に光あれ!」

こう絶叫して中坊さんは警察が来ないうちにさっさと引き上げていった。その直後アベ政権を批判する「ハイサおじさん」(だっけ。沖縄の)の替え歌を大音量で流す左翼と思しき車が走っているのに出くわした。
中坊さんが言った「既存の左翼や右翼を相手にしてはならない。彼らは諸君らの目を晦まさんとする存在である。」という言葉は本当だと思った。実際に政権に批判的でもあんなの聴かされたら「どうにでもなってしまえ」と思ってしまう。

んで「貧困は力なり」って座りの良いフレーズだな、と思いつつ出典があるのかと思ってググってみたら、あの僕も好きな「イルコモンズのふた」が出てきた。しかもネグリ関連の記事で、ネグリ本人の談であるようだ。さては中坊さん、ネグリかイルコモンズさんのいずれかから黙って拝借したな!?まぁいいんだけど。

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こんなん流行らせたい


 「痒い」の新しい用法として。

例1:お前、まじ痒い。

例2:そんなん痒いからやめとき。

例3:そのネタ痒いよお前。

例4:最近痒いよなあいつ。

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○○マン


 今朝ごはんをボーっと食べながらふと思ったんですが。
ええと、スパイダーマンは、「なんかスパイダーっぽいマン」なわけですよね。
んで、スーパーマンは「なんかスーパーなマン」なわけですよね。
○○マンは大抵「なんか○○なマン」というわけですよね。

と言う事はですよ。
「スパイダーマン本人じゃないんだけど、なんかスパイダーマンっぽいマン」は「スパイダーマンマン」ですよね。

いや、それだけなんですけどほら。「デビルマン・レディ」とか言うじゃない。


追伸

 日本の「○○マン」文化になるとまた違っていますね。
「アンパンマン」だと「頭がアンパンで出来ている人」ですが、別にスーパーマンが「体のどこか一部がスーパーな人」ではないわけで。

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孫海英がすごい【マルコムX】【胡同の向日葵】

 「マルコムX」と「胡同の向日葵」を連続して観た。
なんでだよ、とつっこまれそうな食い合わせ。

「マルコムX」に関しては言わずもがなだろうし、改めて言う事も無いような気もします。でも話題に出した手前敢えて言うなら、お約束どおり「本人そっくり」とか「マルコムってそのまんま悪人正機のサンプルだよね」とでも言っておこうかと思います。あれほどの(聖者と呼んでもいいほどの)人物を演じてしまうデンゼル・ワシントンもスゲーわけですが、それはやはりマルコムX自身の等身大の神格化されざるスゴさってのが大きいわけで、兎に角この映画の凄さは、本人とその人生、映画化した側の双方のテンポが良く合っているという所に尽きると思うわけです。「黒人」と「ニガー」を区別するところなんかは僕としては手放しで大喜びだったりします。


「胡同の向日葵」に関して。
文革から現代までを通して父と子を描いているわけですが、一つ言えるのはこの映画をスラヴォイ・ジジェクと二人で観てはいけない事です。エンドロールのあたりからきっと「父と子」の関係で解説し始めます。教材としてみたくなる程解り易く描かれています。
現代の日本の「父と子」のように、万国共通の「父と子」の構造が色々隠蔽されている状況では、日常生活の上でなかなか実感できないところを鮮明に切り取っています。
 観る人によっては「文革」と「最近の中国」という舞台装置がなければ「ベタ」に映るであろう題材ですが、きっちり舞台装置を意識していればそうそう「ベタ」でもありません。
 そこに僕の好きな俳優 孫海英 のシンプルで何気ない所に芸が細かい演技が光ります。「若い頃」のシーンではカツラがわざとらしいんですが、年老いた後のシーンになると途端に味が出てきます。こんなに「偏屈な親父」が似合う人は他に知りません。
細かな点で言うと、特にこの人は「寝ているところ」が巧く、寝ている口元の「ムニャ」感は圧巻と言わざるを得ません。「真顔なんだけど次に笑うか笑わないか」という微妙な表情の細かさや、「ささ、食べろ」という仕草、「小市民的な中年がムッとして怒る」という演技などは、様式美を経由したリアリティと形容すれば近いかもしれません。ここまでしっかりと“芝居”をしている俳優さんもそうそうお目にかかれないのではないかと思ったりします。兎に角この映画は「父と子」よりも「文革」が鍵です。どちらにしても「自称マルキスト」のジジェクは食いついてきそうですが、奇をてらってノータッチかもしれません。

 身も蓋も無い言い方ですが、「家族」を改めてテーマにするのはまさに今「家族」が失われつつある、その裏返しだと言い過ぎることも出来ると思うんですがどうでしょう。
アメリカにおいては隠れた名画「刑事ジョー ママにお手上げ」あたりで「家族」は消えたのかもしれませんね。
(っていうかこれを僕が名画だといっても友人たちは首肯してくれません。)

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妄想労働基準


 「大型連休で高速道路が大渋滞で事故多発」なんて記事を見て毎度思うのは、「祝日」という制度がいかんのではないか、と言う事だ。大体、一斉に休もうとするから色々不都合もでてくるのだろう。一斉に休んだ時のメリットというとなんだ。友達と都合がつけやすいってところくらいだろうか。そんだけか?いや、でももっと何か無いと「祝日」を制度として存在する意味が解らないよな。
僕は思うのだけれど、「祝日」という形ではなくて「全ての労働者は労働基準法に定める労働時間の限度内に労働時間を収めた上、年間17日休まねばならない」とかにしたほうがいいんじゃないかと思うんだな。要するに「この日は憲法が制定されたからそれを記念して休日」ってんじゃなくて、「憲法制定を記念して休日一日アップ」という風にするのだ。そうすることによってゴールデンウィークの恩恵を任意の時期に享受する事が出来るようにしたらいい。そうすれば小売業などに従事する労働者など「休日が書き入れ時だから休めない」労働者に休日を与える事が出来る上に、「書き入れ時」そのものが分散して常に一定の客入りになるのだから、「ヒマでどうしようもない」時間も「忙しくて客一人に構っていられない」という時間も機会が均一になってバランスが取れるだろう。客から言えば混まなくて済む。
ここで気にしなければならないのは、企業のあり方だろう。「休み取っていいよ」と言いながら取りにくい状況を作って「休まない本人のせい」にする企業が出ては困る。こうなると、労働基準法を遵守しない経営者への厳罰を考えねばならないだろう(個人的には少年法の厳罰化よりもこっちのほうが先だと思うのだが)。
例えば、基準よりも大きく超えて労働者を使役した場合には、経営者の全財産を没収するとか。こうしておけばこれまでの労使関係はがらりと変わるだろう。逆ストライキが可能になるからだ。つまり「出血大サービス残業」。会社全体の利益がガーンと上がって経営者が没落するという大変愉快な状況が現れる。こういう事が予見される為に、経営者は労働者を手厚く扱わざるを得なくなるのだ。
「いやぁ、仕事が終わらなくて…」
「仕事なんか捨てておいていいから帰ってくれ」
「いや、そんな事はできませんよ。泊まり覚悟でじゃんじゃんバリバリ残業します」
「後生だからやめて!」
みたいな。
ソビエトの政治委員みたいな感じで各企業に労働基準監督署の監視係がいて、社員の密告によって動くのもいいな。ある朝、突然社長がラーゲリに連れて行かれて、この制度によって全国の企業で手付かずになっちゃった業務の肩代わりを強いられるとか。
それまで「こういうね、大変な仕事を乗り越えてね、人間としてもね、成長してくれると嬉しい。」とか言ってた社長がラーゲリから帰ってくると「やっぱね、楽なのが一番だよ」とか言い出すようになるんだろうな。これがあれだな。『再教育』ってやつだんだろうな。

とかなんとか妄想した事を垂れ流さない事には書くことが無い今日一日だった。

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「○○人」と括られると胸糞悪いな。

 僕は見るからに縄文の血を引いていそうな日本人なのだけれど、しかし「日本人」として括られるのはなんだかとても気分が悪くてならない。例のアメリカにおける銃乱射事件に伴って他人事ながら暗澹たる気持ちを抱いている上に、「韓国人に対する報復が怖い」という韓国の人の発言(つまり、韓国内でそのようなことがあった場合報復もあり得ると言うことの裏返しであろう)を目にしたり、「日本の大学でやれば英雄だったのに」という発言を目にしたり、非常に気分が悪い。
いつまで“○○人”と括り続けるつもりなのだろうか。

これだろ。


ノータリンとしか言いようが無い。
と、言いつつ僕自身「“○○人”と括り続けるヤツ」と「“○○人”と括らないヤツ」という風に括って対岸を非難しているという事には変わりが無いのが更に胸糞悪いんだが。

ついでに言っておくと僕は南京事件もその他北東アジアで日本軍がやらかしたとされるなんやかんやも、当事者ではない。「歴史」だってほんとなんだか嘘なんだか判らない。だから僕に向かって「悪逆非道な日本人」などと罵られてもお門違いなんでそこんとこよろしく。

さっきボケっとテレビ観てたら「帝国海軍の駆逐艦“雷”が数百人の敵軍兵士を危険を顧みず救助した」という“日本人の素晴しさ”について感動的なかんじでやっていたのだけれど、これも僕はナントカっていうかっこいい艦長じゃないから、僕が救助するかと言うと判らないので期待しないように。あと僕、武士じゃないから。じっちゃんに言わすと公家の出だから(でもほんとだかどうだか)。“日本人”だからってサムライとか言わないように。

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そういうものだ。


 カート・ヴォネガット氏が亡くなられたらしい。
亡くなられたと聞いても、亡くなったように思えない人って言うのが、本当の「スゴイ人」なんだろうな。岡本太郎にしても、なんだかまだ生きているような気がしてならない。
そういうものなんだろうな。


カート・ヴォネガット氏の公式サイトの彼の死に関する表現が素晴しい。

じゃぁ、またどこかで。

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凄く不真面目に聞こえる不思議

 防衛省公式サイトから4月10日の記者会見内容を転載します。
何故なら、こうして政府の情報を広く知らせるのもブロガーの務めでありますから!!
あ、あと念のため言っておきますが、発言内容には一切手を触れていません。
ビジュアルとはかくも心象に影響するのだという事例をお楽しみ下さい。

ブログ内関連記事
===

 http://www.mod.go.jp/j/kisha/2007/04/10.html

Q: 昨日でイラクではフセイン政権崩壊から4年ということで、大臣は昨日マーリキー首相とも意見交換されたと思いますけれども、現在のイラクの治安情勢及び今後の支援の在り方についてはどのようなお考えをお持ちでしょうか。

Hana02_2

:イラクの復興、安定のために各国が頑張って応援しており、日本も引き続きそういう気持ちに変わりないということです。そのために自衛隊を派遣していますが、引き続きそういう支援をしたいという話をしました。マーリキー首相からは、イラクでも比較的安全なところはあるので、そういうところにはもっと積極的に日本の企業等も出てきてもらいたい、経済活動も活発にしてもらいたいという意見がありました。

Q: 5月の大型連休に予定されている「2+2」の前後に、大臣がバグダッドを訪問されたいという意向を表明されていましたけれども。

Hana02_3

: 以前から希望としては持っておりますけれども、相手国とのいろいろな調整もありますし、こちらの思うようにはなかなかいかないので、予定通り行けるかまだわかっておりません。

Q: 方向としては「2+2」の前後にバグダッド訪問したいという方向で調整をされているということですか。

Hana02_3

: 気持ちはあります。しかし、なかなか難しい点もあるのかもしれません。


Q: 昨日、マーリキー首相とはその話しはされたのでしょうか。

Hana02_3

: していません。是非イラクへどうぞというお話しはありました。


Q: 日を改めてというか、大型連休と違う日にまた再調整するという・・・。

Hana02_3

: それもまだ決めていません。国会があるとなかなかそう簡単に行けないのです。特に連休を外すとなかなか時間が取りにくいので、行くとすれば連休がいいと思ったのですが。


Q: 陸上自衛隊の2等陸曹のパソコンからファイル交換ソフトを通じて、武器庫の地図等、内部情報が流出したという報道があるのですが。

Hana02_3

: 過去のデータをまだ完全に消してなかったというような話はあるやに聞いております。今、調査しているのではないでしょうか。


Q: 情報漏洩の事態は深刻だと思いますが、今後の対策としてはいかがですか。

Hana02_3

: とにかく、昔のこととはいいながら流出しているのは由々しきことです。徹底してくれとは言っていますし、また部隊としても隊員にパソコン、FD等の中身をもう一回チェックして、前のデータが残っていないかということを念を押してくれと言っていますが、チェックが徹底できていないのがあるようです。そういう古いパソコンを繋いだらネット上に流出してしまったということのようですが、なぜ徹底できないのかと思います。データを消去すればいいと思うのですが、ハードにデータを入れてしまったら消去するのは難しいのでしょうか。


Q: 集団的自衛権の研究が政府の方で始まりますが、大臣は集団的自衛権の行使については、憲法解釈の変更ではなく憲法の改正が必要だとお考えでしょうか。

Hana02_3

: 私は、必ずしもそうではなく、集団的自衛権という概念自体ですが、憲法上にも法律上にも集団的自衛権という言葉が出てきておりませんし、集団的または個別的な自衛のための固有の権利という条約上そういう表現になっているわけですから、自衛権という概念で色々議論することがよいと思います。私も政府の一員ですから、従来からの法制局の見解を踏襲していますけれども、どこまでが自衛権で守られるのか、憲法上はこれ以上は自衛権といえどもできないのかどうか、そういう議論を深くやった方が良いと予てから思っておりますので研究が始まることは良いことだと思っております。

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人間とは鼻をほじる動物である

 面接続きでピンと張っていた緊張感をちょっと緩めてネット上のニュースを、ふんふん。へー、ふんふんと読んでいた。
ZAKZAKからこんな記事。

“安倍内閣の爆弾”松岡農水相、火の車


「そりゃそうだよな」と思いながら記事を読み、追い詰められるナントカ水大臣の写真を見る。追い詰められてるねぇ。

Matuoka_1

そりゃ、ねぇ。

……

……ん?


Hana_1
鼻ほじってます。

「鼻ほじってたでしょ!」と問い詰められたら「小鼻の外側を掻いてたんだよ!」と久間氏は必死に言うだろうけど、関節の位置からすると相当入ってますよ。そんな入れたら血出るって。
凄い見られている時に大掘削作戦決行という余裕。

「人間とは○○な動物である」っていう言い方がありますけど、ほら例えば「考える葦である」とか「人間など糞袋だ」なんて一休さんっぽい言い方。この場合には「人間とは鼻くそをほじる動物である」と言うのがしっくり来ますね。
「糞袋」っていう言い方は他の動物のほとんどに当てはまりますが「鼻くそをほじる動物」はサル系にしか当てはまりませんから、このほうが「糞袋」よりも正確ですね。
人間は想像を絶する悲劇に見舞われようが何しようが鼻くそはほじるんでしょうね。

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「当確」が


 あまりに速攻すぎて笑ってしまった。
僕は個人的に、誰でもいいから石原慎太郎を負かして欲しかったんだけども、これはすごいな。元から政治に何も期待してないんだけど、今回は選挙民が変り種にどう反応するかが気になって仕方がない。外山氏は何票とってるかしら。黒川氏よりも下だったらガッカリだな。

 ブックオフで「お、これは?」と思う本に遭遇した事が無い。なのに“古本”というだけで店に入ってしまう。変な性癖。結局眺めるだけで店を出る。時間の無駄。

■■

 本を読むだけの仕事とかないかしら。校正の人とかってそんなんじゃないの?そんなんだったらなりたいなぁ。

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イライラするので純粋にケチをつける② 略してケ②


 面接まで少々時間が余っていたので、外山恒一氏の選挙ポスターの「文字ばっかり」バージョンをちゃんと読んでみた。背後には交番があって「政府転覆を呼びかけるポスター」を読む僕を公僕が監視しているのではないかと言う若干の不安もあったのだけれど、呼んだだけでマークされるって事は無いだろうから、と思いつつもやっぱりちょっと不安だったりしながら読んだ。

 外山氏は“ヤツら「多数派」”と「少数派」とを対立させて物事を語っているのだけれども、いやぁしかしちょっと待ってくれ。
実は我々全員が少数派である、ということを忘れていないか。
所謂「少数派」が嘆くなら、もうちょっと違うところを嘆かなければならないのではないか。つまり「多数派」が【実は全員少数派であるにも拘らず「多数派」であるとしている】事を嘆くべきなのではないのか。と、思うのだな。

 外山氏は「選挙によって何か変わると思ったら大間違いだ」と言いつつも、少数派を「少数派」として括ってしまっている。矛盾と言ったら言い過ぎかもしれないけれども、それはちょっと違うのではないかと思うんだ。
少数派を「少数派」として括る事は、なんらかの“勢力”化を企んでいる時点で【実は全員少数派であるにも拘らず「多数派」であるとする】事となんら変わらないだろう。
 “勢力”化することは少数派にとって避けなければならない筈である。

【少数派が「多数派」から圧迫されてるっぽい】(「っぽい」ってのはほんとに圧迫されているのかはわからんという意味)というのは、全体主義的な傾向によって圧迫されている(っぽい)と言い換えられるだろう。
「全体主義的な傾向」なんてのは、多くが既成のイデオロギーに「乗っかる」事によって現れる状態であろう。少数派を「少数派」として“勢力”化したら、どうしたって何らかの“既成”イデオロギーを生み出すに違いないのだ。
“勢力”化した時点でそれはすでに少数派を「少数派」というイデオロギーに乗せる行為であって、「多数派」のそれと同質のものに過ぎない。
 こうして見ると、破天荒さを売りにしているように見える外山氏といえども、「多数派」の連環の中に加わってしまっていると言えよう。
純粋に少数派で居続けるにはイデオロギーの創始者でいなければならないのだ。


と、批判しつつ一気に翻るのもどうかと思うんだけど、恐らく外山氏は本当に“勢力”化しようとは思っていないだろうと思う。
なんせ既成左翼の支配的傾向を批判した人だから、恐らくは「思考しはじめろ」と言うだけ言っていなくなるのであろう。「自分イデオロギーを創始しろ」という事をきっと言いたいのだろう。
が、それにしてはポスターの文章は言葉足らずなのではないのか。

 高円寺だったかで(下北沢だったようです)石原慎太郎(帰れ)に物凄いヤジが飛んでいたようだけれども、民主主義ってのはヤジじゃないか。ヤジ抜きで民主主義を実現する方法はないんじゃないか。
既成のイデオロギーに支配されずにいながら間接民主主義のこの国で生きつつ主権を行使するにはヤジが最も適しているのではないか。それを否定したら少数派はどこに意志を表明するんだ。
 んでそのヤジに切れる慎太郎(帰れ)は民主主義政治の中にいてはいけない。帰れ。オリンピックなんかいらんから帰れ。

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「イライラするので純粋にケチをつけるだけ」略してイチ


 純粋にケチをつけてみるコーナー。

なんかこうイライラが溜まって、愉しい事も見出す気分ではない上に、オチのない文というのはどうも躊躇いがあるのだけど(いや、オチのない時も多々あるけどさ)、しかし何か書いてないと益々イライラしてくるので、こういう時には腹癒せに目に入ったものに対して純粋にケチをつけてみようと思うのであります。

==うんこ記事引用開始==
【新入社員に薦めたい本、1位は「三国志」】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070406-00000001-oric-ent

 その結果、「新入社員に薦めたい本」第1位は【三国志】。理由は、「人との付き合いなど、昔の知恵が満載だから」(愛知県/30代/男性)、「広く人間関係を円滑にする要素が含まれている」(埼玉県/40代/女性)など、“人間関係を学べるから”という声が圧倒的多数だった。

==引用終了==

 
 史実を基にしているとはいえ思いっきりフィクションです。羅貫中フルスイングです。
「正史」のほうであれば百歩譲ってまぁアリだと思うんですが「正史」読んでる人ってどんだけいるんですか。劉備んとこの三兄弟がものすごいゴロツキで頭プーで、言ってみればキレモノの部下がいない劉邦みたいなアレな感じだったとか、実際の戦がかなり地味だったりとか、人間関係ったって実在しない人物がちらほら居たり、かなりの味付けが施されているわけですよ。味付け度合いから言ったら水滸伝と大して変わらないわけです。これが「人間関係を学ぶのにオススメ」と言うのなら、近松門左衛門の浄瑠璃だって問題ないわけです。

いや、まぁここはもう百歩譲りましょう。

百歩譲ってこれを「教科書」的に解釈するとですね、基本的に「あんだけしのぎを削って権謀術数、死屍累々の争いをしてようやく統一したんだけど八王の乱勃発」みたいな諸行無常の話っていうか、権力争いの愚かしさっていうか、なんかそういう話でしょう。「新入社員に薦める」と言う事は「組織運営に役立てて欲しい」と言う事なのでしょうから、反面教師としての読み方しか出来ないような気がするんですがどうでしょう。
実際、三国も統一後の晋も、思いっきり崩壊しているんですから三国志に見られる人間関係を見本にしたら、崩壊を再現してしまう可能性が高い気がします。
さらに百歩譲って「中国のテキスト」を掘り下げる為の導入として見るっていうのもあるかと思うのですが、これもアウトっぽいですね。
 「演義」でいうと、例えば魏の曹植が兄の曹否との跡目争いに敗れ、兄に「俺が七歩歩むうちに詩を作らないと殺す」と理不尽な事を言われながらも、見事に詩を創るシーンがありますね。
“豆を煮るに~”ってやつ。
ダメです。僕が兄だったら処刑まで行かないまでも何かしますね。漢詩の規則に沿っていません。
「演義」でのこの詩は

煮豆燃豆箕
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急

となっていますが、後世にダメ出しされて二句追加されています。

煮豆持作羹  
漉<豆支>以爲汁  
箕在釜下然  
豆在釜中泣  
本自同根生  
相煎何太急  

こんな感じです。

「建安の七子」の一人とされるくらい高名な詩人がダメ出し食らうってのはあんまりです。
まぁそもそもテキストとしてこの詩が登場するのは5~6世紀で、曹植存命中の詩集には入ってませんし、他の作品とスタイルがあまりにも違います。個人的には「贈王粲(王粲に贈る)」が傑作だと思います。興味があったら上述の「七歩詩」と比べてみてください。「こりゃ別人の作だ」とわかるはずです。つまり偽作です。

その他には「泣いて馬謖を斬る」の馬謖が斬られるきっかけとなったアノ戦い。どこでしたっけ。調べるのメンドクサイんで調べませんが、高地に陣取って確かこう言います。
「『高きをもって低きを見れば、勢い竹を裂くが如し』と孫子に書いてある」
書いてません。
ひょっとすると僕が見落としているのかもしれませんし、手元の「孫子」の訳者のアレか、読んだ「三国演義」の訳者がアレかも知れませんが。

このように「演義」を中国テキストの導入に使うのも非常に危険度が高いです。

「三国演義」なんか娯楽なんだから有難がってどうすんだよ!
と言いたくなりますがここは冷静に、今は失われた古代中国思想の根源である「老子」における人間関係の力学を考察した箇所や、そこから派生した「韓非子」や「孫子」を新入社員にお勧めしたほうが「あ、この先輩イケてる」と思われるに違いありません。少なくとも「三国志」を薦めるよりも。
飲み屋で「説教モード」を期待している後輩には「般若心経」の現代語での講釈でもしてあげたら如何でしょう。「やっぱ縁起なんだよ」みたいな。エンギつながりで。

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白馬は馬にして馬にあらず

 SPIテストっていうのか?
今日も面接に行ったのだけれど、筆記試験とアレをやらされて二時間ほどの拘束となり、良い印象を与えたのかどうかも判然とせず(最近の「面接官」ってのはアレだな。マニュアルどおりにやるばかりで求職者に話させようとしないな)、なんだかなぁ、と呟きながら地下鉄銀座線田原町駅で電車を待っていたら、改札からはやしさんと思しき人が颯爽と入ってきた。
 もうパっとみて「あ、はやしさんだ」と思った。
もうそのまんま本人。歩き方もそのまんまで、雰囲気もそのまんま。確実に本人だと思って「はやしさん!」と声を掛けようと、もう0.002秒後くらいで発声する、といったタイミングで重大な違いに気づく。(これがロケットの打上だったら大損害だ)
……凄く小さい。
“小さいはやしさん”なのだ。
はやしさんは僕よりも身長が高かった筈なんだけど、“小さいはやしさん”は僕の鼻くらいまでしかなかった。随分と小型化に成功したもんだな、と賞賛しようかとも思ったが、白馬が馬にして馬にあらざるように、小さいはやしさんははやしさんに非ずと思い直し、声を掛けないで置いた。こういうのもドッペルゲンガーって言うのだろうか。
SPIテストで頭がおかしくなっていた結果「小さい大名行列」を見てしまうように「小さいはやしさん」を見たという可能性も否定は出来ないが。


 「JR職員の制服は、皆さんが駅のゴミ箱に捨てたペットボトルを再利用した繊維で作られています」みたいなCMを目にした。
そういった取り組みは良い事だろうと思うのだけれども、どうなんだろう。
繊維ということであるから、靴は別なんだろう。制服ということであるから、下着類は別なんだろう。
僕が心配するのは、もし“必要なだけ捨てられなかったら”ということだ。
 完成した制服は都心部の主要な駅から配給されていくだろうから、そこの駅員さんは問題ないのだろうし僕らも「駅員さんは駅員さんらしい格好をしている」と思うのだけれども、辺境(失礼)の駅なんかの駅員さんの制服分まで確保できる程のペットボトルが確保できなかったりして、「ランニングシャツにパンツと靴下と革靴」という格好の駅員さんがいたりするのではなかろうか、それはあんまりに可哀想なのではなかろうか、と思うのだ。
まるで「あ、亭主が帰ってきたわ!早く窓から逃げて!」みたいな感じで締め出されたツバメみたいだ。
 ……あ。
JRバスのマークってツバメじゃなかったっけか。じゃぁ「駅員さん」優先で「バスの運転手さん」がツバメみたいな格好をするのだな。そうに違いない。よかった。巧くオチた(のか?)。

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僕の無意識ってどんなだ。


 明け方に笑いながら目を覚ました。
寝惚けながら「あ、今面白い夢を見たから努めて覚えておこう」と頑張って記憶しもう一度寝た。

夢ネタなどは他人から見ると基本的に面白くもなんともないものであろうと思うのだけれども、なんだか妙に面白い内容、というか「俺の無意識って大丈夫なのか?」と思える内容なので、敢えて書いてみる。

僕は夢の中でマンガを読んで笑っていた。
そのマンガは植田まさし風というか、そのものズバリな画風で4~10コマの短いネタの連発系だった。作者名は植川まさし。タイトルは「サザエさん2」だった。
内容と言えば、脚が極太な奥さんに膝枕をしてもらった結果頚椎を痛めるとか(笑)、奥さんの巨大な手が操る顔より巨大な耳掻きによって耳から血が出た(笑)男が、出勤時の電車内で傷が開いて出血、周りの乗客が無関心を装いながら「ああ、耳掻きしてもらったんだな」と思う。とかそんな内容だった。サザエさんと全然関係ない。

 そういえゆうべ寝る前に、アダムスミスの「神の見えざる手」に関して、モンティ・パイソンにおけるテリーギリアムのアニメみたいなナンセンスな感じで、雲の切れ間から巨大な手が轟音と共に伸びてくるイメージ「だったら面白いな」と妄想していた。(無論、アダムスミス自身はそんなこと全然言ってないぞ)
「奥さんの巨大な手が操る巨大な耳掻き」は多分そこから来ているのだろうと推測できるが「極太な膝枕で頚椎を痛める」というイメージがどこから来たのかが気になって仕方がない。

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ダメ発言


 わぁ。うちらんとこの総理大臣ってアレなんだなぁ。

==以下引用==

<安倍首相>「安倍語」に変化 逆質問倍増、官僚言葉は減少(毎日新聞)

 安倍晋三首相が発する言葉が変わってきた。記者団を問い詰めるような「逆質問」が増えたのがその一例。内閣支持率の続落で、首相は「どうせ落ちるなら、やりたいことをやる」(首相周辺)という心境になっていると言われ、「安倍語」の変化も、そんな開き直りの姿勢と関係しているようだ。
 記者 公務員制度改革は必要なのか。
 首相 必要じゃないと思ってます?
 記者 そんなことないと思う。
 首相 そうでしょうね。多くの人がそう思っているからやるんです。
 記者 国民にとってどんなメリットがあるか。
 首相 公務員制度改革をですね、やるべきというのは国民の声だと思いますよ。あなたもそう思いませんか?
 記者 はい。
 首相 だったら質問しないでください。

<後略>

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070323-00000001-mai-pol

==引用終わり==

 なんだかファンタスティックな「開き直り」であるな。
「多くの人が思っているから」やるのか。そうかそうか。そうなるといろいろ吊し上げないといけないヤツが内閣の中に複数いるよな?その前に「メリット」を聞かれて「国民の声」と言い始めるのはどうなんだろう。学級会ではないのに。もう何て言うかイデオロギーとかすっ飛ばしてこんなのに税金使われてるってのが悔しいな。人を馬鹿にしているか自身が馬鹿なのかのどっちかだね。
 んでもってこんなやつを出してしまう一定の集団が「改憲」と口にするのはやっぱ怖いな。憲法ってのはあれだろ?国家権力に対しての対抗的な権力だろ?
 あ。と言うことはこんなのはどうだろう。
近年凶悪犯罪が増えている(と思われている、けれども統計上そんな事はないみたい)事に対応すべく、国家に対する規制を強化したらどうだろう。それとバランスを取るというような感じで罰則の強化を行ったら良いのではないか。
「光熱費が年に500万円」なヤツを死刑にする一方で、刑事犯に対しての懲役刑の上限を80年くらいまで引き上げるとか。(汚職に対して極刑で臨むってのが大して効果がないってのを中国が実証しているんだけど、ここは感情的にスルー)
 こんな風に、権力の発動とそれを規制する掟とのバランスを保つのなら、それはそれでアリだと思うのだが。

あ、趣旨が逸れた。
とりあえず、うちらんとこの首相はダメ。
ダメなフニャコからダメ認定もらったらもうこれ以上なくダメ。

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ひょっとすると

「給料」とは「労働の対価」ではないのではないか?

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ハライセ


 そろそろ東京に帰って一ヶ月になるのだけれどなかなか就職も出来ず物凄くイライラして仕方が無いので、はらいせに新聞勧誘のにいちゃんにイヤガラセをしてやった。
ってかもうほんと東京ってのは「勧誘」が多いな。

我が家(実家)はインターホン越しに会話が出来るのでこれを使ってイヤガラセ。

 勧誘「お忙しいとこすみません~。○○新聞なんですけれども」
  僕「ォウェボヘウヘゥォゴヘ」
   (↑昔の黒澤映画出演時の三船敏郎の声をボリューム絞った感じ)
 勧誘「はい?」
  僕「ォボフェエボゴォヘウホッ」(通話終了)

 その上でこっそり玄関の覗き窓から観察してたら、やはり僕が何を言っているか判らなかったらしく兄ちゃんはしばらくハチ公のように待っていた。
善良な市民はこんなことをしてはいけません。

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厭世


 履歴書と言うものを「手書きで書くもの」と決め付けてかかっている人が未だに沢山いそうなので、僕は必死に手書きで書く。この時点で半分厭世的。そしてよく書けたやつに限って、最後の最後で失敗する。一瞬出家を検討する。「出家にも書類審査があったりして」などと考え出家を思いとどまる。夜中までかかって十枚ほど書き、コンビニの兄ちゃんに重さを量ってもらってその分の切手を貼り、投函する。少し清々しい気持ち。次の日、切手の料金が足りなくて帰ってくる。出家を検討する。気を取り直して追加分の切手を貼り、再び出す。もう「その会社への応募」と言う行為にケチがついてしまっているような気がして厭世的。

 去年の年末に母が購入したアホほど大きな液晶テレビは、業者が設置したにもかかわらず地上波デジタル放送を受信できないでいた。業者のおじさんは「この建物にUHFのアンテナがないのではないか」などと言っていた。業者が言うものだからそうなんだろうと思ってそのままにしておいたのだが、今日、なんとなく僕はテレビの裏側の配線をじっと見つめて、なんとなくいじってみたら見事に映った。ただ単に“アンテナ→ビデオ→テレビ”の繋ぎ方がしょぼいだけだった。そういえば、業者のおじさんは我が家から撤収する時、でかい声で“若いもん”を怒鳴り散らしていた。仕事はしょぼいくせに。「世の中ってそんなもんなのか」と厭世的になる。

 グリーンジャンボ宝くじの抽選結果が発表されたが、どうせ当たっていないと本心では思っているゆえに「今、希望が潰えるのは精神衛生上よろしくないのではないか」などと思いつつ、しかし一方で「いや、そんなものにすがって夢見ているよりもさっさと次へ行ったほうがよい」とも思い、こんなことで逡巡する自分の弱さに呆れる。結局「前に進もう」と思いつつ番号を照らし合わせ、「一等組み違い賞に物凄く近いけどやはりハズレ」な番号を発見し、やはりガッカリする自分に呆れる。こんなに弱くては出家も出来ないと思い、暗さを増す。

 僕の年収よりも高いナントカ還元水。「夕張市に私財100億円を投じてもよい」とみっともない見栄を張る津軽の恥“羽柴・誠三・秀吉”。そんなら僕よりも苦境に立たされている都会の若者へ手を差し伸べたらどうだ。沢山いるぞ。こういうみっともない人たちを見て、また厭世的になる。なるほど。こういうやつが儲けるのだな。そうでない人ももっと美味しい思いが出来てもいいのに、と思う。僕を少しくらい安定させてくれてもいいのに、と思う。普通に働いて、普通に残業して、普通にお給料貰って、普通に家に帰ってにっこりとしていればそれで満足なのだけれど、それは贅沢なのだろうか。(休みは欲しいが)

嗚呼。

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波動砲とジジェクとお金よこせ


 酔っ払っている(と言う事が免罪符になると思い込んでいる)から今宵はヤケクソだこのやろー。

乳房、糞便、声、まなざし、波動砲(宇宙戦艦ヤマト)、右傾化は多分同列だ!

或る日おとーさんがやってきて何気なく打ち崩していった全能感を追い求める無意識が出てきているに違いない!
ジジェクが松本零士のマンガを読み漁ったら2年くらいずっと松本作品を例に挙げ続けるに違いない。材料は豊富だ。メーテル(母)、ハーロック(父権)、波動砲(男根、もしくは糞便)、四畳半系の作品(金銭というファルスの欠乏)等々。

右傾化に関しても、うんこ、ちんこ、乳房、まなざしでなんとでも言えるに違いない。

うおーこのやろー。仕事よこせー。仕事よこしたら次は休みよこせー。
っていうかひとまずベーシックインカムやれー(特に俺に)。
 ってか若干真面目に言うと、既存のODAみたいにゼネコンつれてって食うに困っている人たちに立派な橋をプレゼントしたりするよりも、むしろそれなりの国が集まって「日に1ドル以下で生活している人」に一日一ドルあげちゃうほうが安上がりなんじゃないのか?そういう人は12億人いるって言われてるけど、12億×1ドル×365日なんだから年間5000億ドルでいけるじゃん。十数カ国で分担してやったら大した事ないって。しかもその分マーケット広がるんだぜ?

 と言う事で日銀さん。
僕が一生を終えるまで年間500万円をくれませんか?
僕はその「一生500万円日銀から貰い続ける」という特権を担保に民間の銀行からお金を借りて信用創造しますよ?僕が借金した途端に国内の財が増えるわけですから万歳でしょう。ベーシックインカムは国外に裕福層が逃げていく可能性がある(当然税率が上がる為)からイマイチ実行し辛いというのがあるわけですから、ね、「フニャコ限定」でやってみませんか?ねぇ!ねぇ!

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地球人ですらねぇよ


 こんなのを発見。

 マッコイとかスコティとかは百歩譲っていいとしてもだ。そもそもスポックは地球人ですらない。いいのか連邦準備銀行。

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帰ってきちゃった。

 あ、ごめん。東京に帰ってきちゃった。
ツレと富山に住み続けるというのもアリだったのだけれど、経済的に安定しないので帰ってきちゃいました。半年後くらいにツレと合流予定。それまで寂しく独り身で、生活基盤を整備。
やー、なんかね、なんか色々ね、初っ端にアレな会社に入っちゃって散々な目に遭ったり、余所者には色々な面で生活し辛かったりね、大変でしたけどその分充実しててこの上なく愉しい日々でしたよ。ツレのおかげですな。感謝感謝。
(上京は車でしたんだけど、ツレのいない助手席のなんと寂しい事。)
「愉しかったんだな」とか「あの人と離れちゃいけないんだな」とか今になって実感して凹んでんです。まぁ、今更仕方ないんですけどね。半年血眼になるしかないね。

と、いうわけで御上りさんとして再出発です。よろしくお願いします。

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僕の偶像崇拝


 「無神論だの無宗教だの言ったところで、人間なんか軒並み何かを信仰してんだよな」と言っみたりしつつ、「あ、そういえば僕は何を信仰してんだろう」と不意に思う。
探す。僕が何を信仰しているのか、今日は気楽にその中でも偶像的でかつ“ややマイナー”な信仰対象を探して晒す。(ショスタコーヴィチなんかはメジャーもメジャーなんで挙げない)


・僕の神その1「ジャイアント馬場」

 説明など要らないくらい偉大である。
「目」と称する節穴を持つ愚か者どもは偉大なジャイアント馬場を「動きが鈍い」だのと言って憚らないが、逸れは晩年の姿のみしか見ていないから言えるのであって、その「鈍い姿」の本質は“いかに過酷な状況を長く続けるか”のチャレンジであり、“いかに勝つか”ではない。“いかに勝つか”という主題を求めていたのは若い頃の話であって、その若い頃の映像を一度見てみるが良い。あの身体で機敏に動き、機敏に動く上に相手のペースを乱すインサイドワークの絶妙さを知れ。そして戦略家としての彼を知れ。彼の全てを知れば、世界は彼を賛美せずにはいられないだろう。
彼を主神としてジャンボ鶴田、スタン・ハンセン(存命)が(僕の中に)いる。

・僕の神その2「周迅」

 念彼観音力。理屈なし。

・僕の神その3「江頭2:50」

 偉大である。多くのマスコミでは彼の瞬間的な暴走ばかり注目されるが、しかし彼の秘めた力は凄いものがあると断言して良い。僕の勘だが、他の芸人が失業する可能性をマスコミが憂慮した結果「TVにあまりでない」のではないか。それほど凄いものがある。
 「江頭2:50のピーピーピーするぞ」において、それまでの彼のイメージを払拭するような軽やかなトークが聴かれる(内容は良い意味で「酷い」けどな)。
ハッスルのリングにも立っていたが、彼ならある程度「箒相手に」プロレスをする事も出来るのではないか。
 彼を主神として、上記の番組にて見事なまでに江頭氏をコントロールする隠れた司令塔、早川亜希女史も尊敬に値する。女史が上記番組内で江頭氏を評して「むしろツッコミなのではないか」と指摘していたところにもその目の確かさが見受けられる。僕もそう思う。僕も女史にコントロールされてみたい。

 僕が思うに江頭氏は個性派俳優としてもいけるのではないか。
http://www.youtube.com/watch?v=RNxpvSutMRA
5分くらいのところで出てくる車買取専門店AraddinのCMにて泣き叫ぶ演技が巧さを物語っている。

==
 僕の神と言えば他にも沢山いて多神教もいいとこなんだけど、例えば岡本太郎なんか一般的には「『爆発だ』の人」とばかり認識されてたりして不当な評価を受けていると思うし、ジジェクももっと読まれて良いはずだ。ポルシェ博士の作った戦車がもっと笑いをとってもいいと思うし(思うにあれはゲルマンギャグなんだ)、ドイツと言えば伝説の一人バンドATTACKはもっと評価されるべきだ。楊麗萍も日本でもっと評価されるべきだ。

 ってか江頭2:50と早川亜希のコンビを賛美したいだけの記事なんだけどね、ぶっちゃけ。

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カレー味のうんこ

 二本前のエントリへのコメントで「うんこ色」発言があったので勢いで書く。

「うんこ味のカレー」という古典的な“究極の選択”なんてのがあるけれども、あれをまともに考えるとどうなるかなと、昨日一日頭の片隅で考えていた。

さっと考えると「うんこ味」という一事は「カレー」という本質に付属したものであるから、主従の順から考えれば「『カレー味のうんこ』か『うんこ味のカレー』か」という議論は後者を選択するのが正しい。
 が、カレーというのは非常に多くの素材を含み、範囲の広い料理なのであって、マグロの赤身を入れようが、納豆を入れようが、大福を入れようが、多数の香辛料がベースになっていればカレーであるはずだ。
とすれば、多数の香辛料ベースのうんこはカレーなのではないか。もっと極端に言えば、それはうんこではなくて胆汁やらなにやらが入ったカレーなのではないか。

具をフードプロセッサーにかけたのと咀嚼したのとの違いなどがあるが、カレーを作る工程の中で、一回咀嚼して胃酸を混ぜて消化したものに胆汁を混ぜるなどと言った作業を入れた場合、それはカレーなのかうんこなのか。
(つまり人体で「濾過」せずに内容物だけうんこに近づける努力をした場合、それはうんこと呼べるのか、否かという問題)

そう考えると両者の違いは曖昧になってきやしないか!

 上に挙げた工程の中に「普通は食べない素材」を混ぜた場合、「カレー味のうんこ」よりもさらに凄惨なものが出来上がる可能性もある。

ということで、仮に「どっちかを選択して食べなければいけない刑」と言うのがあり、「うんこ」が「食物が人体を経由して現れるもの」と定義されていた場合、「カレー味のうんこ」を選択するほうが「うんこ味のカレー」を選択するよりもリスクが低いのではあるまいか。
 何故なら、上に挙げた定義で「うんこ」とした場合、処刑道具に使われるうんこは「されたまま」の状態でなければならず、仮に手を加えたら厳密にうんことは言えず、「うんこを加工した○○」になる。
つまりうんこであるからには手を加えてはならず、カレーであれば手を加えても良いという話になる。
「カレー味のうんこ」は予想される以上の惨事にはなりにくく、「うんこ味のカレー」は刑を執行する主体の創意工夫によって幾らでも凄惨な状況が作り出されるのである。

で、あるからそういった刑に処せられた場合、「カレー味のうんこ」を選択する方が生存する可能性は高いのではないかと思う次第なのである。

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雑02/14

mixiの某コミュにて覆面アカウントで参加し、主流のややナショナリズムめいた議論を封殺して二ヶ月が過ぎ、それ以降書き込みが無いので先程挑発してきた。
なんでも論破される事を覚悟で発言した方が良い筈だと僕は信じているし、僕もここでそうしてきた。そのほうが考える事に対して貪欲になれる(多分)。
僕の挑発に乗って前に進んでくれる事を祈る。
(乗ってくれなかったらもう一つアカウント作って独り芝居。)

 友人の友人によるMMOゲームをテーマにした修士論文に協力すべく以前からインタビューに答えていたのだけれど、完成した論文が今朝届いた。
読んだ。
 本人曰く「今のところ非公開」だそうなので詳細については書かないけれど、これまで多くのマスコミ言論の主流であった「『ネットゲーム』全般に関して問題視する論者」の稚拙さと、そういった論における「実際のプレイヤーの不在」を指摘しつつ、一般的プレイヤーの実像に迫り、現状「リアル」とされている社会とは別に「バーチャル」とされている次元で何が行われ、行う主体は何に充足しているのかといった事に肉迫する内容であった。それは、暗に「リアル」とされているものに対する痛烈な批判を内包しており、この論文を肴に軽く4~5時間議論するに足りる出来となっている。
僕自身は気楽にメールで応答するくらいであったけれど、それでも関われた事を嬉しく思う。それと「御礼」の甘いものが貰えるという事も嬉しく思う。
いつか彼とこのブログ周辺で議論できたらと思う。

■■ 

 先日、郷ひろみが選挙に云々なんて話を見つけて吐き気を催した。
「林檎殺人事件」とか「お化けのロック」の時の彼はイイと思うけど(つまり樹木稀林がセットでないと評価できないという話なんだが)、それ以外ではショボイと思うので出馬はやめて欲しい。っていうか、これ以上選挙民(という僕)を辱めるのはやめて欲しい。

 今ある議会を日本という行政区から切り離して勝手にやらせるっていうのはどうだろう。で、新しい議会を編成するの。で、旧議会には給料なんざ払わないというのでどうだろう。誰かそんな法案通してくれませんか。

■■■

 ということで思うんだが、タレント議員なんかちらつかされるよりも、むしろ「日本甘党」とかそういう極限までナンセンスを追求した政党が出てくるほうが心臓や胃腸にいいような気がしてきた。

例えば、党首は元横綱大乃国で、マニフェスト(笑)として「全ての労働者に月300円の『甘いもの手当て』を支給する」とか「甘いもの産業に支援金」とか。
 甘いもの手当ては、労働人口を6700万人として(2005年に6772万人)月300円だから12ヶ月で2412億円だ。「甘いもの産業支援金」に「手当て」と合計で1兆円以内に収めてもいけそうな気がしてくる。昨今、勤務中に甘いものを食べる労働者が増えたと聞くので支持も多かろう。
現状の無駄遣いの規模を考えれば充分に可能なんじゃないのか?(笑)

まぁ、タレント議員なんかこういう思いつきレベル。

■■■■

 全然関係ない話だけど、永遠小僧さんには是非「マンガ版エチカ」を書いて欲しいなと思う。

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昔ながらの性教育(なのか?)


 市教委職員エロ画像ためた私物PC勤務先に持ち込み…

 大阪市教育委員会は8日までに、勤務先の市立青少年会館でパソコンでわいせつ映像を見ていたとして、係長級の男性職員(54)をにした。

 市教委によると、職員は子どもに利用してもらうため私物のパソコンを持ち込んでいた。インターネット上で取り込んだ複数のわいせつ映像を保存し、昨年5月以降に月2回程度、勤務時間外に映像を見ていたという。外部スタッフと中学2年の男子生徒がパソコンを使った際、映像が映し出され発覚した。

 同会館は「青少年の教養を高め、健全に育成する」ことを目的に、市内12カ所に設置されている。

ZAKZAK 2007/02/09
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_02/t2007020923.html

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 いやー、笑った笑った。
このニュースに悪い人はいないように思われる。
あー、目に浮かぶ。
中二の男子が「やべ、やべ(半笑い)」といいながら目が釘付けで、外部スタッフが困った顔をしてて、“見られちゃった”係長が青い顔をしている場面。
ここに登場する人々は、この時まさに“青少年”だったはずだ(笑)。
 そもそも、日常でエロを小出しに見せなければいけない(エロ行為がどんなものか学習しなければ、少なくともコミュニケーションとして実行できない)のだから、もし係長の趣味が中二の少年の今後に影を落とす(例えば強姦モノだとか)でなく、無害なものであったなら、むしろ誉めてあげたいほどのものだ。減給10分の1、1カ月の懲戒処分で済んで良かった良かった。

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命名権(不法)乱用

友人夫婦がオメデタだそうなので、早速名前を勝手に考える。
姓名判断にて(っていってもwebの無料のやつだけど)で検証済み。


・満腹丸(これはツレが考えた)
全体的に良いが、ギャンブルに気をつけるべし。

・影千代
名誉や財産に恵まれ、特に恋愛運がスゴイ。
ただ、高血圧に注意。

・ジャイアント
 全体的に良いが、恋愛運だけやや凶。

・ステップオーバートーホールド
苗字がFで始まるので略してSTF。強運!すごい強運!オススメ。
withを入れると凶数になるので省略。

・葉巻型
これも強運。独創性に優れた人になるらしい。


男の子の場合はこの位かな。色々思いついたんだけど凶数が出たのでボツ。
個人的には満腹丸がオススメかな。なにぶん一番名前っぽいし。

ああ、ひとんちの子の名前を(勝手に)考えるって楽しいなぁ。

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龍樹ってメタルっぽいと思うよ。


 いしとびせんせの新しい龍樹本が完成に近いみたいですよ。
真面目に研究してるせんせに触れつつ僕がこんな事を言うのはアレなんだけど、龍樹ってなんかカッコイイ。龍樹のあらましについて説明するのはメンドクサイんで、いしとびせんせのサイトを読むか、検索でもしてもらいたいんだけど、極端にやんちゃな事しといて後悔して仏道を極めようとするところなんか、ほんと“仏教的”だと思うんだわ。
「“仏教的”パターン」ってあるよね。
極端から極端に振れて、その微妙な真ん中に気づく。みたいな。
お釈迦さんを例にとって乱暴に言うと、

「俺、王子。俺、王子。ウヒャヒャー」

「生きる苦しみって今まで意識しなかったけど、ほんと…うわ、ゲェ!」

逆さづり(?)とかサソリ穴(?)とか巨大線香(?)とか、そんな辛い修行

「こんな修行してても意味無ぇんじゃね?」

ひたすら座って考える

スジャータにもらった乳粥にお釈迦さんの持ち物がポトリと落ちて容積が増えたのを見て「エウレカ!!」と叫ぶ。


 最後のは言うまでも無くウソだけど、極端から極端に移動して中庸に至るっていうのがなんとなくパターンになってるような気がするんだよね。
いや、そんなパターンなんかいいんだけどさ、何て言うかそのパターンがカッコイイと思うんだ。このパターンが「悪人正機」に繋がっているんだろうなと思う次第。
まぁ、龍樹は中庸でもないような気はするんだけどね。メタルっぽいよ龍樹。

 こう、ヒマに任せて思う様書きなぐりつつ、ふと思い出したんだけど僕が高校生くらいの時だったか、「徹子の部屋」に永六輔が出てた時があった。
 永六輔は活舌が悪くてあまり好きではないんだけど、その時に彼がドーナツを例にとって「空」の説明をしていた。さわりとしては非常に解りやすい例の出し方で感心した覚えが在るんだけど、説明されている方の徹子が「はぁ?」みたいなリアクションで、全然理解できていないっぽかったのが今でも印象に残っている。
 「『空』をドーナツで説明する」とだけ言って、永六輔がどう説明したのか書かないのは、ちょっと意地悪なような気もするのだけれど、もし解らなかったら、是非考えてみて欲しいと思ったり思わなかったり。

この『空』はなんだかいろんな所に繋がってて(っていうか繋げて解釈する事が可能で)、ぱっと思いつくだけでも、老荘、スピノザ、ラカンなんかが食い合わせとしては良いんじゃないだろうか。(っていうか僕が、仏教、スピノザ、ラカン等々を老荘経由で理解してるっていうだけかも知らん)


 いや、そんな事はいいんだ。
いしとびせんせには、以前タダで本貰っちゃったんで今度は買うさ!



 龍樹様へ。

なんで“隠れみの術”のやり方を本に残してくれなかったんですか。
僕だったら友人を犠牲にせずにもっと巧(自粛)

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「漫画版マルチチュード(仮)」に関して

 ネグリ、ハートの両氏がこの件(僕が「マルチチュード」を漫画にしようとしている件)
に関して知っていたなら今頃こんな風に言っているに違いない。


Negri02_4

ほんと無理だって。

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死んだりはしていませんよ

ロンドンに居たりしたのでブログの更新ができないでいました。
(↓証拠写真)

S08


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わたし☆をご飯に連れてって♪

 星の数ほどの皿を波の数だけ平らげませんか?
 L・O・V・E☆バルタンさん
 
 僕は中華料理がいいなぁ。ね、sitaさん。

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墨攻に注意

墨攻観たいなー。

しかし、ここでツガリスト(津軽人、津軽好き、あるいはそれに準ずる人)は注意が必要だ。他のツガリストの面前で不注意に

「ぼっこう観たいなー」
と口走ると

「ぼっこ見たいなー」
つまり
「棒っこみたいなー」
となってしまう恐れがある。非常にある。
庭から棒を持ってこられる事もあるだろうし、最悪の場合猥褻な事態に陥る可能性もあるのだ。

充分に注意されたし。

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神保町願望


 寒い。こう寒いと僕は何故だか神保町に行きたくなる。
何故「寒い→神保町」なのかはわからない。
恐らく、中高生の頃の何らかのトラウマ的事象が関係しているのだろう。精神がブロックして思い出せないようになっているような、そんな何かだろう。そんな気がするからきっと間違いない。
とにかく僕にとって秋から冬にかけては神保町シーズンなのであり、こないだ実家に帰ったばかりなのに神保町行きたさにまた帰りたくなっている。怪しげな古い本が僕を呼び、怪しげな中古楽器が僕を呼ぶ。神田川沿いのきつい風が好きだ。綺麗になる前の某大学が好きだったなぁ。そりゃニコライの鐘もなるよ。開けっ放しの古本屋の寒い空気の中で、お世辞にもかわいいとは言えない女学生と、体温が伝わりそうで絶対伝わらない距離で、互いに無関心なそぶりで暖を取り合うような黴臭い風景。神保町へ行きたい。無性に行きたい。電車の中で買った本を“我慢できずに”開きたい。満員の電車の中で音楽を聴きながら本を読みたい。孤独のようで孤独でなかったな。でもやっぱり孤独だったな。しかし孤独とも言い切れなかったな。

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ツレを俯瞰でみたら違う見方も出来るのだろうか

 東浩紀とかなんかその辺の領域を理解したいと前々から思い、時々著作を読んだりはしてきたのだけれど、しかし彼ら(一般的に言う「オタク」という領域に住む人たち)の支持を集めた、あるいは集めているものに対して僕は今までノータッチでいた事に今更ながらに気がついて、そして重ねて今更なのだが出来るところから触れていこうと思い立った。

 彼らの領域のものであるかイマイチ判断は出来ないのだけれど、スーパーファミコン(これも今更だな)の「ときメモ」をやってみた。理由?安上がりだから。

 僕はその昔、ゲームソフト店のおにーさんだった時期がありなんとなくこのゲームの輪郭は知っていたのだけれども……。








……なにこれ。
このゲームは、いやもう周知のものなんだろうけれど、Aという女子に対して、プレイヤーはAがウケそうな行動なり受け答えをしていかなければならない。
しかしその、作り手によって用意された「ウケそう」な行動や受け答えが、現実の僕のツレには全く不評であろうと予想しうるもので、その一方、作り手に用意された「間違った選択肢」はかなり“ベタ”なものであり、これも現実のツレには不評であろうと思われ、僕にとっての現実との乖離が凄まじい。
僕は混乱する。
 用意された選択肢のほとんど(と言うより僕が目にした全ての選択肢)は、僕がこれまでの人生で知り合ってきた全ての女性に不評であろうと思うゆえに、「ひょっとしたら僕が間違った人生を送っているのではないか」という錯覚すら覚えるのである。
 これはアレだな。
娯楽作品の多くが <起こっている出来事を充分に俯瞰しうる> レベルでなくてはならないという鉄則を忠実に守った形、或いは守りすぎた形なのだ。
娯楽作品は、観衆の理解力と予測する能力とを大幅に超えてはならない。もし主人公の目線と観衆の目線が同レベルで一体化してしまっていれば俯瞰して楽しむ事は難しいだろう。俯瞰できない作品は俗に「難解」と言われる。「主人公と観衆の目線が一体」である事は、現実と同じように“一寸先は闇”である事であるし、このような状況が楽しめるのなら“この類の”娯楽に逃避する必要はあまりないのだろう。
 「あまりないのだろう」と書いたのは、例えば「多分に死ぬ可能性のある展開」を大きく欠如した生活(展開が容易に予測できる生活)を送っている場合には、“一寸先は闇”的展開の娯楽が求められるのだろうからだ。「cube」とか「2001年」とかな。

 このゲームはつまり「2時間ドラマ」であり、水戸黄門なのだ。解り易くてナンボなのであろう。

あ、念の為、娯楽の楽しみ方は「逃避」だけではないと付け加えておく。ここで僕がムニャムニャと述べたのは、「逃避」という楽しみ方をする点での話だ。念の為念の為。


(「幾分かの解釈すらし得ない」作品というのは娯楽として成立するだろうか…?)
(いや、すまい。娯楽としては確実に、すまい。「2001年」ですら解釈が可能だ)
(解釈の放棄って言うは易しだものな)

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電車移動であれば読書も進むのだ。

 アーサー・C・クラークって人の小説は、本編は勿論なのだけれど前書きやあとがきが非常に面白かったりする。カッコ書き(つまりこういう書き方で本音や補足事項が書かれていたりする。これは僕も良く使う。最近はやや使いすぎだが)が多く使われて本音や冗談が言い放題で、とても高齢のおじいちゃんが書いたものとは思えないものだ。
クラークの作品を全て読んだわけではなく、今のところ4~5冊しか読んでいないので“これが面白い”と自信を持って示すわけにも行かないのだが、僕の見立てでは「3001年」のあとがきが傑出した出来になっている。こんなに面白いあとがきを僕は読んだ事が無い。淡々とした語り方の後で書かれるあとがきだから面白いのかもしれない。

==引用==

太陽系中に異星人の遺物を探す試みは、まっとうな学問分野となるべきである。不幸な事にこの分野の信用を失墜させているのは、こうした証拠はすでに見つかり、故意にNASAによって隠蔽されているという主張である。こんなたわごとを信じる人間がいることが信じがたい。むしろ宇宙局がETのにせ遺物をわざとこしらえて、予算不足の解決をはかるという図のほうが、もっとありそうな事だ!(応答願います、どうぞ、NASA局長……)

==引用終わり==

なんとまあ、可愛いじっちゃんであろうか。
他にも、軽く噴いてしまう箇所が多くあるので、本屋で「3001年」を見かけたら、とりあえず作者のあとがきだけでも読んでみる事をお勧めしたい。

 今回の年末年始は、例年に比べて比較的時間の余裕を持つ事が出来た為に、読書量を多めに確保する事が出来た。これに関しては、信じがたいほど面白くないテレビ番組達に感謝しなければならない。

・2001年 アーサー・C・クラーク
・2010年 アーサー・C・クラーク
・3001年 アーサー・C・クラーク
・もてない男 小谷野 敦
・項羽と劉邦 司馬遼太郎
・他人を見下す若者たち 速水敏彦
・若者はなぜ3年で辞めるのか 城繁幸

これだけ飲み歩いていた割りにはよく読めたほうである。
「他人を見下す若者たち」以外は面白く読めたので6/7の確立で及第点以上というアタリであった。

「他人を見下す若者たち」は贔屓目に見てもお勧めしない。
例えば「かつてはAであったと思われる。しかし今の若者はBであって……」という記述が多く、何故「かつてはAであったと思われる」のか、読み手である僕を納得させる証拠や資料は挙げられず、「今の若者はB」という証拠を執拗に挙げるやり方(しかも、それ自体説得力があまりない)が多用されている。
 つまり結果が先にあって適当に証拠を取って付けるやり方なのだ。これは僕もやりがちである事なのであるが、作者は「学者」であり、僕は素人である。こういう書き方はあんまりだろう。
こういう書き方が多用されるというだけで、想定されているであろう結論が仮に直感的にでも首肯できるものであっても、読み手としては胃の辺りにモヤモヤしたものが溜まっていく。
「品格系」って呼んじゃうよ?

 司馬遼太郎が儒学者や縦横家について曰く「論というものはどこかに嘘を混ぜなければ成立しないのではないか」
 ……納得(笑)

 僕が先生だったらこういうレポートに単位あげない。
ただ、多くの人が過剰に「他人を見下している」のは僕も感じているところであり、テーマ自体は大事な事であろうと思う。
が、多少でも見下せる相手でないと「友人」になれない事も事実なのであり(そうでなければ知人か師である)、最近の若者がどうこう…という話ではない事は確実に言えることだ。自尊心を保つのに多少なりとも他人を馬鹿にしているところなど、あって当たり前であろう。
と、「若者」を見下しながら本を書いて自尊心を保っている作者を見下しながら自尊心を保つ僕なのだ(笑)

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また新年かよ。前の新年は始まってからまだ一年しか経ってないよ。勿体無い。

 やぁどうも。帰郷する際五万円持っていた筈なのにいつの間にか一万円位しか残っていないフニャコです。どうやら三万以上飲んでしまったようで、いや、普通年末年始なんかそんなものなんだろうけれども、僕にとっては非常に痛いです。帰りの電車賃がありません。ああ、終わった俺。帰れない俺。誰か車かなにかで富山まで送ってくれ。

今回は、実家の近所にあるネットカフェで更新しています。年始の酔っ払い(うちの両親)の邪魔がないので書きまくりであります。
 家にいると「ねぇねぇフニャコ」と常に何か呼びかけてきます。
母は二分前に「フニャコ、パン食べる?」「うんにゃ、お腹いっぱい」という会話をしたのに「りんご食べる?」と聞いてきます。父とは「ねぇ、ビール飲む?」「うんにゃ、僕ちょっと肝臓休める」と二分前に会話したのに、「ねぇ、ウイスキー飲む?」と聞いてきます。それでいて飲み交わそうとするでもなく、自分の部屋でそれぞれ飲むことになるので、意味がわかりません。
 そんな両親ですが、何故か37インチの大型液晶ワンセグテレビを購入していました。僕が帰ってきた翌日に納入されてきたのですが、どう見ても置く場所がありません。
不思議なことに置く事に成功しましたが、大きすぎです。視野いっぱいにテレビです。曰く「25インチくらいのものも大して値段が違わなかったからこっち買っちゃった」だそうです。意味がわかりません。ダンプトラックが普通自動車と同じ値段だったらダンプ買うんでしょうか。そんな両親です。


 時間が過ぎると心身ともに歳をとるもので、それは僕も例外ではないと大晦日に思い知らされた。何ていうか…、紅白が意外に面白かったのである。物心ついたときから「紅白なんぞ面白くもなんともない」と思っていたのであるけれども、鳥羽一郎の兄弟舟でやられた。「あ、なんかかっこいい」と思ってしまったのである。北島三郎にもやられた。かっこええな。
富山に戻ったら演歌っぽい曲をバンド向けに作ろうと思っている(実際作るにあたっては大した労力はいらんだろう。演歌ってのは歌い手次第であろうと思われる)。
 東京に戻るたびに何かヒントが出てくるなと思う次第。
今回は、“演歌でいってみよう”という意欲と、アジア歌謡でいってみようというもの、キーワードとして「火達磨」(これは数年前に思いついていたのだけれど、気力のないまま忘れていた。イタバシさんに言われて思い出した)「靴下」「水戸黄門」「ロイシャイダー」等々。


■■

 上記のように歳をとっているので、「正月といったところで、特に言うことはない」といってばかりもいられず、年始早々「今年のテーマ」をここで発表するのである。
今年の僕のテーマは「他力本願」でいこうと思っている。
 決して「あ、今月お金が足りないよ。助けて阿弥陀さまー!」ではない。
どうしても巧くいかない時「む、阿弥陀さんは何か気づかせようとしているな」と分析に入る精神でいこうと言う話である。「成功/失敗」の原因を分析するのではなく、全体の状況からめぼしい物をガツガツ拾っていこうということである。
特に僕の世代なんかは「他人を見下す若者たち」という新書で見下されるくらい(読んでないけど)なのである。僕みたいなのが一人くらいいてもいいはずであるので、今年はそれでやってみる。阿弥陀仏。っていうか、今までもそうだったけどね。
僕は出家する気なんかさらさらないけど、どっちかというと坊主属性だな。生まれつき世俗からドロップアウト気味。
ってか関係性の内部においてしか僕は現れず、実体なんかなく、それこそ「空」だろうと思ったりもするわけで、その点で“ドロップアウト”はあり得ないと思うんだけどな。
僕が自分に関して「ドロップアウト気味」と思ってしまう原因は、両極にある考えを行ったり来たりしすぎというだけだ。
何、書きながら考えてんだか(しかも晒してる:笑)


■■■

 僕は普段「世の中は金ではない」と思っているのだけれども、しかしそれは何というか、「拝金」という在り方があって初めて成り立つ“価値観”なのであって、単独では存在し得ない価値観であろうと思う。拝金様様だ。「非暴力」だって暴力そのものと共犯だ。まったく持ってなんともはやだよな。

■■■■

 初詣に行く神社ってさ、床屋とか美容院とか歯医者みたいだよね。
他に行くっていうのがちょっと抵抗がある。いきつけの神社っていう感じ。「今年もきましたよ」という呼びかけから、いつも僕の“おねがい”は始まるのだ。だからちょっと長くなっちゃって、後ろの人に気を使ってしまい、“おねがい”はいつも尻切れ蜻蛉だ。

……だからか!


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文脈と語彙の選択


 新宿ってのは、まぁ何と言うか刺激的だなぁと今更ながらに思う。
よくある大音量スピーカーで「イエス様からのお知らせです。信ずるものは…」などと真っ向からの反論が無い事を良いことに騒音を撒き散らすキリスト教の布教か何かそこら中にいて、そのすぐ横に托鉢僧が静かに念仏を唱えながら立っている。もう少し歩くと救世軍がラッパを鳴らし、そのすぐ横でアベックが「姦淫」を思わせるような勢いでイチャイチャしている。大声で独り言を叫ぶ老人、見るからに疲れたサラリーマンやら、無機的なオネーチャン。もうごちゃごちゃ。未だに「世紀末」の匂いがするね。「東京」にいる事に慣れているとこの感覚はわかり辛いかもしれないけれども、地方とは全く異質だ。顔が違う。東京にいる事が「普通」であった時には意識できなかった事だ。


 友人のイタバシさんや、たいちF氏と次のネタ会議をやった。凄いものが出来そうだ。
全くこの人たちはアホな人達だなぁと感心する。創造された事物と創造した本人との距離が絶妙なのだ。言葉では言いにくいのだけれども、「こういう人物を作中に登場させよう」という話をする時になされる「こういう」についての説明に使われる語彙の選択が素晴らしいのだ。悪人を語っているのに悪人と感じさせないのだ。

ネタ会議の場の文脈から切り離して、ここに文章で書くときっと伝わらないのは解っているので具体的なことは書かないけれども(具体的に書けないのでムズ痒くてたまらない)、この人達は恐らく、日本語の中で最も汚い言葉を口にしても“品良く”聞こえるに違いない。それまでの文脈を良く捉えているのだろう。そうでないとそういう語彙の選択は不可能だ。
この人達は、普通によくある事を、非日常にしてしまう。文脈を逆手に取らないときっとこんな事は出来ない。

 その前日に一緒に飲んだ友人もこんな事を言っていた。曰く「同じ単語にも貴賎がある」。これも文脈の使用法の話なんだろうな。
 僕は相手が僕にとっての“可愛い女性”であっても、汚い言葉を汚く発語したら、引いてしまう。僕が強度の文脈依存症なのかもしれないが、やっぱり汚い言葉にも発語方法の美醜があるんじゃないか。
そんな事を取りとめも無く考え、結果寝不足。

■■

 街にも文脈がある、と思う。
それを捉えてないと「人ばっかりゴミゴミ集まりやがって。邪魔なんだよ。みんな死ね」と呟くようになる。何でそう思うのか説明できないけれども、そんな気がする。

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飲み屋行


 9ヶ月ぶりに「俵や」で飲む。
俵やには「兄俵や」と「弟俵や」がある。二つの店舗を兄弟でやっているのだ。
僕の好きな「俵やのおとーさん」は、二つの店舗のどちらかにいる。
 昨日は「兄俵や」が移転して新装開店したというので、友人と二人で飲みに行って来た。相変わらず美味しいものを出してくれて満足。
二人でこの数ヶ月間に起こったことについて愚痴を言い合ったり(りょうさん、なんであれ情動に従った末に大事なものに辿り着くならそれで正しいのだと僕は思います。それはあの娘に関してもです。いろいろあった挙句、お互いに別な場所であっても大事なものに辿り着いたら結果オーライだと思いますよ。本来の意味での他力本願的な考えでいきましょう)、隣に座ったすこし僕の境遇と似通った弱視のおじさんと盛り上がったり(大体、カミさん、彼女という所謂パートナーについての話だ)しつつ、「弟俵や」にも顔を出す。俵やハシゴだ。
「俵や兄」は僕の事を細かく覚えてくれていて、とても嬉しかったのだが、おとーさんは残念ながら僕の事を忘れていたようだ。「俵や弟」は「親父もうボケてんだよウワハハハ」と笑う。
その後僕は巣鴨で終電を逃し、やむなくタクシー待ちの行列に加わり、前に並んでいる人ととりとめも無く話し込む。「一緒に載ってくか」という話になったが逆方向なので断念。「いつかどこかで」と別れた。
11歳年下の奥さんをもらったタクシーの運転手さんの身の上話を聞く。主に息子さんの話。そして孫の話。500円おまけしてくれた。ありがとう。

東京の凄さは、一期一会で関係が成立してしまうチャンスがゴロゴロ転がっているという一転に尽きると思う。よく「東京は冷たい」などと言う人もあるが、そんな事は無いのだ。地方より東京のほうが“一時的であっても友人となりたい”と心の門を開け放っている人が山ほどいるのだ。それはまぁ、「みんな孤独だから」とも言えるのだけれど、それ故に心の中にアクセスしてくる人間に対して全身全霊で歓待してくれる事のほうが多い。
もし僕と喋ってすっきりするのなら、みんなそうすればいいと思う。僕は疲れるだろうけれども、それもいいとも思った。

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何そのテンション。


 親愛なる友人たちの集まりであるからといって、何も考えることなく無条件にのこのこと参加しようと言うのが、そもそも決定的に安易であり、迂闊であり、軽率な行いなのだと僕は僕自身に言いたい。なにかその、ちょっとした予習と言うか、心構えと言うか訓練も時に必要なのではないかと思う。
“友人であるから僕に困難を齎す事などしないだろう”という類推は、イヤガラセがコミュニケーションというひとつの線上に、「親愛の情を表す」という行為と並んで位置していると言うことを見落としている。つまり双方を分けるのは受け手の解釈の違いに過ぎないと言う認識が欠落しているおめでたい類推なのだ。

『マルチチュード』の漫画化を1月18日締め切りでフニャコがうろ覚えでやる。しかも四コマ漫画で」

ってなんだよこのやろう。はやし(息子)さんめ。シータさんは「うふふ」と頬杖ついて僕を見ているばかりで、助け舟を出してくれないし(それどころか漫画を描くという念書まで僕からとった。)、永遠小僧氏に至っては、「じゃぁ僕がネームかきますから。簡単っすよこんなの」と自信満々に、僕を混乱させるばかりの変な落書きをよこすばかりだし、嗚呼、18日までに連載開始ってのはだめだろうか。このままでは僕が可哀相でならない。いっそどこか遠くに逃げるか。

 このATLS周辺の集まりでは、僕は“転がされる”役回りであるのだけれども、それは非常に不思議な事である。他の集まりでは特に転がされる事も無く、むしろ“いじり役”であったりするのである。この違いは何が原因なのか、と考えるとすぐに思いつくのは、はやし(息子)の特異性であろう。何ていうか「何そのテンション」と思う。
そしてその特異性はどこから来るのか、という疑問は昨日の集まりでなんとなく解決した。
妹君の希更さん(もじゃもじゃ)はこれまでも参加されているが、今回は御母堂様までいらしたのである。僕はそれだけで「ああ。」となんとなく納得した。面白一家。僕が想像(妄想)するに、何かある度に客席から笑い声が聞こえるような、アメリカのホームコメディみたいな一家に違いない。羨ましい(妄想だけど)。むしろこっちのほうが漫画描きやすいんじゃないか。来年はきっと御父上もいらっしゃるに違いない。僕も何か手を考えねばと思う。はやしママと同じくらいあっと驚く人を連れて行ければなと思う。
正直、「お母さん」が来たっていうこと自体が、なんかちょっと悔しいっていうか羨ましい。美味しすぎる。その一点に尽きる。しかも追い討ちとして、シータJrにまでお目にかかることになって(良いサッカーシューズは見つかっただろうか)、「個性的な家族」を連れてくるって凄いインパクトだなと思う次第。こうなるとフニャコ従弟(血が繋がっていないんじゃないかと思うような醤油ベースの男前。共通点は音楽好きってとこだけ)を連れてくか、と悩むところだ。肉親から出場選手を選ぶとすれば、祖父が個性的で面白いのだが、如何せん移動が大変だ。命懸けの参加になるだろう。別に肉親でなくてもいいか。僕の義兄である「ま」先生をはやし(息子)さんにぶつけてみるのは非常にエキサイティングな事になるだろう。永遠小僧さんに対してもやはり「ま」先生が物凄い勢いで斬り込んで行くのではないかと密かに期待だ。アル中だけどな。



 ツレ以外と面と向かって素で話してるっていう状況が凄く久しぶりで僕は興奮している。もうちょっとその場にいたら失禁でもしていたんじゃないか。僕の主なアウトプットが文字であり、音声ではないので落ち着いちゃって見えると思うのだけれども、テンションは高いのだぞ。
年末はほとんど友人との予定で埋まっているので、このテンションが続くと何か脳内で出血したりするんじゃないかと心配でならない。

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何が何でも更新しなきゃ。


ずっと前から考えている事なんで、もうネタにしたかもしれないんだけど、「逆盗聴器」っていうイタズラアイテムってのはどうかなと思うんだよね。悪用される可能性があるけど。

Hc12


図のように、コンセントの中に仕込んだりしとく。
普通の盗聴器は、音を盗み聴くものだけど、これは逆に盗み聞かせるっていうか無理矢理聴かせる
つまり受信側をこっそり仕掛けるわけだ。イタズラの主体は一切盗み聴かない。出来るだけ「聞こえるか聞こえないか」くらいのボリュームが良いだろう。しかも忘れた頃に時々。

最も効果が上がりそうなのは、猪木信者(猪木信仰は日本最大の信仰といっていいだろう)に対するイタズラだ。
寝しなにA・猪木の「この道を行けば、どうなるものか・・・」等の朗読を聴かす。
夢うつつの時にこれを聞かされ、「いくぞー!1・・・、2・・・、3・・・」とやられたら、ぱちっと目が覚めて一緒に「ダーッ!!」とやってしまうのではないか。

っていうか、何某かの法に触れそうだなこれ。

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ホワイトカラーエグゼンプション


 前の投稿へのコメントとして友人のタケナカ君から
「ネタがないのならホワイトカラーエグゼンプションに関して吼えてください」
とリクエストがったので、吼えてみた。


F13

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忙しいってんじゃなくて

師走だから忙しくて更新してないんじゃなくて
何もネタが思いつかないだけ。
F12

虚ろに「アー」と、声だけ発してみる。

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中国に友達が出来たっぽい。


 スカイプにてコンタクトしてきた中国の人とこの時間までチャット。
あちらさんは日本資本の会社へ就職を目指す僕と同い年の失業者。日本語勉強中。
あちらのマイクが調子悪いので、文字でのコミュニケーションだ。
二人でルールを作り、僕は日本語で、あちらは中国語で話すことにした。
あちらは僕の使う日本語(自分で言うのもなんだけど割と乱れてはいないと思う)を必死に読解し、僕も漢字を追って理解しつつ、翻訳エンジンを時々使いながら中国語を読解する。金庸の小説の話から、中国の俳優さんの話、日本人の「仕事の時と雑談の時のペルソナの使い分けが中国人にとっては理解しがたい」という話。どうすれば日本人と円滑にコミュニケーションをとることができるのかと言う話、その他諸々。初対面(チャットだけど)にしては、色々な話が出来た。
その流れの最初、なんとなくお互いの文化の良いところを褒めあっていた流れから、何故か僕が本場の人に老子の掻い摘んだ解説をすることになった。変な感じ。向こうは向こうで日本人を観察した結果についていろいろ話してくれて大変面白く濃い時間であった。
彼女(多分)はしばしば僕の発言に「ほら見てよ。また謙遜してる。大丈夫たるものそんな細かいところで謙遜してどうすんのよ」的な野次を飛ばしてくるくらい(本当に「大丈夫」っていうんだね)オープンな態度をとってくれた。謙遜していたのではなくて日本人的な反応をしていただけなのだけれど、文化が違うとやはりそう受け取られるらしい。
改めて言うのもなんだけど、ネットっておもしろいな!

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可憐未老頭先白・・・。


鏡を覗くと僕の頭に多くの白髪が・・・。


四張機,鴛鴦織就欲雙飛,可憐未老頭先白,春波碧草,曉寒深處,相對浴紅衣

嗚呼・・・。

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サンタは実在する! だから・・・

 「宇宙にはこれだけ多くの星があるのだから、宇宙人が居ないわけがない」
という発言を時々目にする。
地球と電波で交信することが可能な範囲の中に、電波を扱える技術を持った文明があるか、というのは置いておいて(僕は存在しないと思う)、この広い宇宙には必ず何らかの種族がいるだろうと思う(文明とは限らない)。

っていうか一般的には「この広い宇宙で、我々人類が唯一の存在である」と断言するほうが難しいだろうと思うんだ。大抵の場合、「どっかに宇宙人いると思う?」と聞けば、原理主義的な人でなければ「広い宇宙にはいるんじゃないの?」というに違いない。
ムーとかたま出版とかの世界に行っちゃってる人なら真顔で「いるよ。来てるよ」とまで言っちゃうに違いない。
人々はこの広い宇宙の範囲でなら何があってもおかしくないという半ば期待に近いような推測をしているのだ。
なのに!
なのにだ!

何故サンタのおじさんだけ否定するんですか!

真顔で「サンタのおじさん?いるよ」と言っている場面は大抵子供を騙している時だ。「この広い宇宙なら宇宙人もいるだろう」と言っている人でも、子供が寝付いたらサンタのおじさんの存在を否定してしまうのだ。何故だ!!何故なんだ!そこのお前だ!何故なんだ!
「この広い宇宙なら~」という論理が通るなら、この広い宇宙のどこかにサンタのおじさんがいるかも知れないだろ!「見たことがないから」だと?それはお前が良い子にしてなかったからじゃないのか!?良い子でなかった事を棚に上げて「見たことがないから」とは良い度胸だなこのやろう。・・・なんだと?「うちの子は良い子にしているのに来ない。だからいない」だと?お前がサンタの代わりをしてるから来ないんだろう!お前、会社で自分の仕事をどこかの誰かがこっそり片付けてくれてたら、心の片隅で感謝するだろ?「勝手な事しやがって」と最初からやり直すなどしてどこかの誰かによる好意をぶち壊したりしないだろ?あ?違うか!?だから来ないんだよ!誰も彼もが自分の子供にサンタのふりしてプレゼントあげてたら、おじさんだって出番がないんだよ!かわいそうだろう!活躍させてやれよ。な?今年はお前んとこのちびっこにプレゼントあげるの禁止!いいな?いいよな?
 ・・・しかしあれだ。プレゼント禁止にしちゃうとクリスマス商戦で頑張っている人々が商売上がったりになっちゃうよな。な?かわいそうだよな?小売業の人とか年越せなくなるかもしれないよな?それは幾らなんでもあんまりですよってな仕打ちだよ。なぁ。わかるだろ?

ってことで僕に何か買って♪

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すかいぷ遊び


 英語の通じる相手だと、なんとなく言ってる事が判ってしまうだろうなと思い、「きっと絶望的に判らない言語の相手」にコンタクトを取ってみる。(つまりヒマなんだ)
まずはズールー語。
どんな感じに聞こえるのかすら判らないズールー語なだけにドキドキしつつコールしてみたが、出ず。残念。
 次はどこにかけようかと迷っていたら、ブラジルから掛かってきた。

・・・なんか怒ってるよ。中年男性の富山弁より怒ってるよ。うわー。
あちらさんは父子の様子で、まずお父さんが「英語は出来るか?」と僕に聞いた。
「ほんとに少しね。」って感じで応えると、笑いながら「ほら、日本の馬鹿と話してごらんよ」とか(多分そう言ってる)言いながら子供に換わる。

・・・子供も怒ってるよ!怖いよ!

すごい勢いでまくし立てて、なんか吐き捨てて切りやがったボウズめ!(笑)

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今日の「サイテー」


いつの間にか、ってか僕が気がつかなかっただけなんだけど、ココログの機能に「タイトルバナーを表示」ってのが追加されてたので、タイトルバナーをつけてみた。
我ながらイマイチ、っていうかやりすぎ、っていうか、反省しつつも、作ってみたものが勿体無いので表示してみる。

うーん。サイテーだ。

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応援歌は大事なんだよ


んー、僕はプロ野球が別に好きじゃないんだけど、世の中はどうしても「大多数にとって共通の話題」が必要なようで、「野球だったらどこのファン?」と聞かれる事もたまにある。
 僕の中のプロ野球は「王巨人」で止まっていて「え?巨人のセンターってクロマティだろ?」っていうそういうレベルだ。
「助っ人外国人」っていうとバースだしポンセだ。ギリギリでホーナーとかガリクソンだな。
だからたまに「どこのファン?」なんて聞かれると困る。非常に困る。

暇に任せて「あえて好きな球団の名前を挙げるとしたら」と考えてみる。

んー、中日かな。
山本まさゆきが大好きだからだ。中日が優勝すれば「燃えよ!ドラゴンズ」がTVやらラジオで流れる回数も増えるんじゃないか。そんな期待から中日を支持する。こんな支持の仕方があったっていいじゃないか。欲を言えば、中日優勝の年に山本まさゆきの曲が流れまくってほしい。出来れば本人の歌ってるやつで。
まぁこれは違う言い方をすると、例えばヤクルトの応援歌を山本まさゆきが作ったらそっちに流れるって言う話なんだが。

ちなみに「応援歌が好き順」でいうと

1、中日
2、カープ
3、阪神
4、巨人(「闘魂込めて」って最近聴かないな)
あとは有象無象。

 応援歌って大事なんだよ。
僕は“国家権力”とか聞くと「なんだこのやろう」となる反権力的な人間なんで、こんな事を言うと敵に塩を送る事になりかねないんだけど、「君が代」だって別に今の「君が代」じゃなくたって良いんじゃないか。
「国旗、国歌」を強制しようってヤツらだって「国旗、国歌」なら文句ないんじゃないか?
旧ソ連の国歌と比べてみればエライ違いだろう。なんかこう格の違いがあるよな。作曲の次元で。ドイツ国歌なんかハイドンだよ?
 もう何て言うかさ、中途半端に“西洋音楽風”の土俵に上がっててアレなわけだから、いっそ義太夫みたいにしちゃうとか、君が代を歌わずに和歌として詠んじゃうとか、完全な“和風”で出てったほうがインパクトでかいし世界の尊敬を(笑)集めるんじゃないか。
もしくは山本まさゆきに新しく作曲しなおしてもらうとか。
きっと歌詞に「アチョー」とかいつの間にか入ってるよ。タイムボカンみたいに。
 自分とこの国歌聴いて爆笑っていう世界も面白いんじゃないかと思うんだな。

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六ヶ国協議


 「六ヶ国協議 米朝直接対話」

というトピックを見て僕が驚くとすれば、

「え、なんで六ヶ国協議に米朝師匠がでてくるの?落語でなんとかするの?」
という(勘違いな)驚きに過ぎない。

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ビョーキ


 人間ってさ、「すわ!事件だ」って時に“どこが病んでいるか”わかるものだと、こないだ判った。

 ツレのとこに行って帰ってきたら玄関の鍵が開いていた。
「あ、泥棒か!?」と思ったりして、獲られる物なんてそんなに無いんだけど、その数日前に僕の住んでるアパートをまじまじと見てるおじさんをみかけて不審に思ったりしてたもんだから「あ、あれは下見だったんだな!」などと思いつつ、“大事なものいれ”を素早く確認。

……通帳がねぇ。

「ねぇ、ねえよ!」とツレを巻き込んで必死の捜索。元々ツレに怒られたりする事もあるくらい散らかってるもんだから、ちょっと難儀。
そんな中僕が思っていたのは「あ、これブログのネタになるかな」だった。
ビョーキだビョーキ。

 寒い。今週末雪ふるって。

■■

 Skypeのさ、「Skype me」ってあるじゃない。
ヒマだったからずっと「Skype me」にしてたんだけど全然コールされないのね。や、全然馴染の無い言語でコールされても困るんだけどさ。あ、でもこっちからするのはアリだなぁ。表情やボディーランゲージ無しで、声音のフレンドリーさだけでコミュニケーションは可能だろうか。ん?勿論僕は頑として日本語で押し通すよ?

■■■

 うちのツレに昔あった駄菓子の「笛になるラムネ」を与えてはならない。っていうか僕たちに与えてはならない。何故なら二人してやたら鳴らすから。

■■■■

 最近、白菜かキャベツばっかり食べている。何故なら安いから。


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満天のぶつぶつ


さっきまで怒りぶちまけ型の投稿をしといて急にこんな事を言うのもなんだけど夕べ、ツレと星を見に行ってきた。とは言え遠出したわけでもなく、その辺の街灯の無い田んぼの真ん中まで行って見上げてきただけ。
それでもこう、なんていうか「ワー、なにこれ!」と叫びたくなる空だった。寒いからすぐ帰ったけれど、寒くなければずっと見上げてても飽きなさそうなものだった。星だから「ワー」で済むし、綺麗だけれど、あれが皮膚の上のぶつぶつだったら未知の感染症かと思って救急車呼ぶね。そんぐらい凄かった。立山の上のほうに行ったらもっと凄いんだろうな。

そういえば、このところ凄く虹を見る。本格的に虹を見たのは富山に来てからだ。「ほんとにあんなふうに見えるんだな!」と感動したのは数ヶ月前。それから今までで東京人の一生分は既に見たな。

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教育改革国民会議


1222top

 ええと。
何から申し上げて良いのか、混乱する私には解りませんので
とりあえずは「教育改革国民会議委員名簿」と、
「委員による発言の概要」の中で、特に私が混乱した部分を
挙げておくことにしたいと思います。
いずれも、首相官邸のサイトに掲載されているものです。
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/meibo.html

・教育改革国民会議委員名簿

江崎 玲於奈 芝浦工業大学学長
浅利 慶太 劇団四季代表
石原 多賀子 金沢市教育長
今井 佐知子 社団法人日本PTA全国協議会会長
上島 一泰 社団法人日本青年会議所会頭
牛尾 治朗 ウシオ電機会長
大宅 映子 ジャーナリスト
梶田 叡一 京都ノートルダム女子大学学長
勝田 吉太郎 鈴鹿国際大学学長・京都大学名誉教授
金子 郁容 慶應義塾幼稚舎長
河合 隼雄 国際日本文化研究センター所長
河上 亮一 川越市立城南中学校教諭
木村  孟 大学評価・学位授与機構長
草野 忠義 連合副会長
グレゴリー・クラーク 多摩大学学長
黒田 玲子 東京大学教授
河野 俊二 東京海上火災保険株式会社取締役会長
曾野 綾子 日本財団会長、作家
田中 成明 京都大学教授
田村 哲夫 学校法人渋谷教育学園理事長
沈  壽官 薩摩焼宗家十四代
浜田  広 リコー会長
藤田 英典 東京大学教育学部長
森  隆夫 お茶の水女子大学名誉教授
山折 哲雄 京都造形芸術大学大学院長
山下 泰裕 東海大学教授


・「委員による発言の概要」

http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html

「甘えるな」(しつけ三原則の一つ)
「各家庭に『心の庭』(会話と笑いの場)をつくる」
「団地、マンション等に『床の間』を作る」
「教壇を復活させることなどにより、教師の人格的権威の確立させること」
「遠足でバスを使わせない、お寺で3~5時間座らせる等の『我慢の教育』をする」
「学校に教育機関としてのシンボルを設ける」
「有害情報、玩具等へのNPOなどによるチェック、法令による規制」
「教育の責任は当人50%、親25%、教師12.5%、一般社会12.5%であることを自覚させる」
「小学校の学習内容を、知識半分、人格形成半分にし、特に人格教育を重視する」
「簡素な宿舎で約2週間共同生活を行い肉体労働をする」
「満18歳で全ての国民に1年ないし2年間の奉仕活動を義務づける」
「名刺に信念を書くなど、大人一人一人が座右の銘、信念を明示する」
「子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう」
「『ここで時代が変わった』『変わらないと日本が滅びる』というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う」
「国民会議の提言を広く国民に知らせるための積極的な活動」
「家庭教育について対話できる土壌をつくるため、企業やテレビと協力して古来の諺などを呼びかける」
「家庭教育手帳の年度毎の更新、配布」
「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」
「一定レベルの家庭教育がなされていない子どもの就学を保留扱いする」
「他の子どもの学習する権利を妨げる子どもを排除する権限と義務を学校に付与する」
「文部省、マスコミが1、2週間程度学校で過ごす」
「マスコミと協力したキャンペーンを行う」
「改革を受け入れる基本的土壌をつくる」

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時代はニュートリノ

 「暖冬」などと言っているのはどこのどいつだこのやろう!!
と、言う事で仕事で神岡に行ってきた。寒い。死んじゃう。
Ts330004

 ラドン温泉なら聞いたことはあるがこれは!

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またまたミスったベッカンコ

 いやぁ。
夕べはアホみたいに(そもアホなんだけど)チャットしながらリアルタイムに音楽を配信。はやしさんから「これかけて」と贈られてきた曲を含めると多分50曲は超えてたんじゃないか。早朝6時までずっとやってた。一言で言うと「著作権蹂躙ナイト」だった。ってかまぁ、身内だけの少人数だから家で音楽かけながら駄弁ってるのと同じだから無問題だろうけどね。
 今後定期的に放送してみようかな、とも思ったりする。やるんだったらフツーじゃない感じでやりたいんで、やるとしてもすぐではない。多分。

夕べの僕とはやしさんとの会話の中で「お、俺この発言、地味だけどいい感じの送りバントじゃね?」と思ったところを記憶転載。

(僕がBGMに「インターナショナル日本語版」をかけている)

はやしさん:「立て飢えたる者よ」って、飢えてるのに立てるかっての。

フニャコ:革命、革命って言いながら全然何も起こらないのって、
     飢えてる人に「たて」って言っちゃうデリカシーのない人に限って
     その指導者になりたがるからじゃないの。


ウヒヒ。言ってやった言ってやった。

 僕も「なんか好き」な邦男ちゃんの生の声っていうか発言みたいなのを載せてくれてるありがたいブログ。
反米嫌日戦線「狼」(一輝まんだら)さん。

んで、何で急によそ様のブログを紹介したかって言うと、共産党について、これも邦男ちゃんがらみの記事で「『9条の会』を牛耳る共産党に改憲阻止の気概ありや?」内の発言

==引用==

「戦前戦後、名前を変えずに党名を貫いてきたのは日本共産党だけです」、それが共産党の売りなんですよ。しかし、よくよく考えてみるとね、党を作って80年以上たってね、そして、政権を獲れない姿というのは誇らしい姿なんだろうか、ということですね。長いことが尊いと、「日本共産党は老舗の政党です」なんてコピーを考えたこともありました。しかし、待てよと、これは正しいのか。80年たって、政権を獲れなかったというのは失敗したということじゃないか。ましてや革命政党なんですからね。80年もかかって革命ができないというのは、ハッキリ言って大失敗ということですよ。しかし、いま共産党にいる人は気がついていない。
結局、80年たって何が残ったかというと、高齢化なんです。青年がいないんです。しかも平均年齢も50歳を優に超えているんです。共産党の地方の支部に行ってごらんなさい。そこでまず最初に聞かれるのは「どこどこの鍼灸師は痛くない」ですから。(笑) これで革命できます? (大笑) できっこないですよ。

==引用終了==

ここで僕も爆笑してしまったから。
上の僕による「デリカシーのない人に限ってその指導者になりたがるからじゃないの。」という共産党発言繋がり。

反米嫌日戦線「狼」(一輝まんだら)さんの他の記事も面白いのでどうぞ。
ついでにTB送ってラブコール。

■■

 メッセ大会さ、定期的にやりたいし、全然知らない人ともやりたくない?
僕のメッセ、プロフィールんとこにはっつけてあるんで、普段でも声かけてくれてもいいのよ?

 
■■■

 ねぇ。
これさ、どうも反対派の主張のほうが筋通ってるように見えるんだけど、それは僕が最初から反対派だからかな。どうなんだろう。


■■■■

 寒さで冷えて腰痛い・・・。

 

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秋って寒いよな


更新したいんだけどネタがないなぁ。なんかお題チョウダイよ。
ってわけで、ブログをお持ちの方はお題トラックバックを、お持ちでない方はコメント欄にお題を書いていただければ。
お題熱望。

 最近TVを買い、ビデオデッキも実家から持ち込んだので、「TUTAYAにビデオはあるんだけどDVD版はない」作品も観れるようになった。嬉しい。
早速、モンティパイソンのTVシリーズのものと、「ピンクパンサー3」「僕の伯父さんの休暇」を観る。
よく考えると(考えないでも)三本とも「ワルノリ」が過ぎるものだなぁ。
ピーターセラーズのワルノリも、ジャックタチのワルノリも方向はぜんぜん違うけれども“計算づく”のワルノリであるところにプロ根性を感じさせる。


■■

 うわー、なんか構築したい!すごい衝動!でも体系的に構築するのはメンドクサイ!

■■■

 三連休どうしようかな。やることねぇな。

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「アレ」


 遠征していたmixiのコミュ、沈黙させて丸四日目。これはあれですか。「とどめ」刺したと考えていいわけですかね。
無責任で何も考えていないにもかかわらずなんだか偉そうで他人を見下した、しかも単語の用法も間違いまくりのコミュ管理人による「最近の私の思想に影響を与えたのは“国家の品格”です」発言に対して、僕は呆れつつ某掲示板に一時期君臨していた某氏っぽい一言を放った。それがとどめになったようだ。つまり「カスだと思います」。某氏もこういう気分だったんだろうか。「おお!」と思える発言が返ってこない場所で持論を展開するってのは凄く暗澹たる気持ちなのだねぇ・・・。いやに虚しい気持ちだ。
さぁ、外はそんな場所のほうが多いと確認しつつ、ブログ更新に戻ろうっと。

 今の仕事先に来てから良く解った事が一つある。
僕は自分で「大体の仕事に対応できる」と思っていたのだけれど、それは思い上がりだったようだ。
例えば僕は、主に接客とか営業とか「対人」メインで今までやってきた。今は「対物」なわけで、なんていうか「アレ」が違うのだ。
ここで言う「アレ」とは、なんと言うのだろう。言いづらい部分なので箇条書きっぽく書くと、

1、それまでの人生で向き合い続けてきた方向によってそれぞれ属性の違う「アレ」が身についている。

2、各分野によって向き合うべき方向は違うので当然それぞれ「アレ」が違う。

3、分野そのものが、その分野を構成する各個人によってなっているので「アレ」にも幅がある。

4、「アレ」の幅の中であれば、何をやっても怒られもしないし褒められもしない。

5、体に例えると、「息をしている」のは当然で誰でもそうであるが、「息をするのに、どこの筋肉、器官を使用しているのか」細かく意識する人はほとんどいないし、「息はしている」けれども、改めてそれを認識し、説明できる人など希少である。

6、「アレ」はほぼ暗黙のうちに共有されており、共有している本人たちにとっては「常識」として意識に上ってくるような次元ではない。ほぼ無意識の範疇に入るものである。

7、門外漢であったものにとっては、作業プロセスのようなものを完全に理解していても「アレ」の共有を欠くために二の足を踏みがちである。

8、無理矢理表すとすれば「常識以前の経験則的常識」とでも言おうか。


ざっとこんな感じである。
難しいねぇ・・・(笑)

■■

 テレビ買った。これでビデオが見れる。DVDだけじゃないんだ!「ぼくの伯父さん」を観たい!

■■■

 最近はMIDI打ちまくっている。急にいろいろ思いつくようになって、これが世に言う「芸術の秋」なんだろうか、と今にして思う。三曲同時進行っていうなんか凄い事になってる。凄いぞ俺。

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スポーツ用品店で発見

スポーツ用品店でスキーウェアをぶらぶら見てたら、こんなメーカーを発見。

Tozama


ウソ。ごめん。今作った。ごめん。生まれてごめん。

ってか、ラジオで良く聞くような“低くてカッコイイ英語ナレーション声”で「presented by TOZAMA」とか言われたら、結構カッコよくない?

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オータムタイム導入を断固要求する!


 あのさ、僕は怒っているんだよ!
あのさ、「サマータイム」とか北海道で実験したりとかさ、「クールビズ」とかやったでしょ。なのにだよ!なのにアレを少しも口に出さないってのはどういうことだよ!

恐らくこの時期、「起きるのがしんどいよー」とか「頼むからあと5分寝かせてくれよ」とか全体の七割はそう強く思っているだろうと思うんだ!
なのに何故誰も言い出さないんだ!
「オータムタイム導入」を!

“全国の企業の出勤時間を一斉に一時間遅くしろ!(もうちょっと寝たいから)”と僕は強く主張したい!全国の労働組合はこれを断固主張すべきだ。ベアを要求?それもいいでしょう。だがベアが受け入れられて収入が上がっても、朝がしんどいのは変わらないのだよ!

と、叫んでみて思うのだけれど、「誰も言わない」って事は「みんな普通に起きてる」って事なのか?僕のようにしんどいのは少数派なのか。っていうか「省エネ」でないと誰も食いつかないのか。謎だ。

 「アリとキリギリス」って話が教訓めいた語られ方をする場合があると思うんだけど、そういう場合一瞬にしてこの話は欺瞞になる。つまり「だから働け」と言われる場合の事だ。もう「集団」と「単独」っていう習性の時点で違うだろ、と僕は思うのだ。あの話の卑怯なところは蟻が死ぬところを描いていない点にある。蟻が死ぬとき「ああ、つまらない一生だったな」と呟くかもしれんぞ。全国の子供たちは騙されてはいけないよ!

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近況っつったってさ。


いや、ほらぶっちゃけ「近況」なんてブログで言い出すのってさ、「こまめな更新をしてない」って事だよね。ごめんなさい。産まれてすみません。

今やってる仕事ってのは、はっきり言って僕の守備範囲外なのだ。
今までの僕は大抵の事は、大体2週間位あればひょいひょいっと基本的なことを覚えて滞りなくやってのけてきたので、今回は凄いびっくりしたんだけど「人間には頭で分かっても体で理解できない事もある」んだね。
「歳をとった」っていうか特定の業種の経験を積み重ね過ぎたのかもしれないけど、戸惑いの連続で、アワワアワワと“つかえない感じ”まっしぐら。まぁ、こういう状況も結構楽しめてはいるのだけれど、どうなんだろう。人生初の「クビ」もあり得るかもしれん(笑)
 まぁ、それはそれでネタになりそうだからいいんだけどね。一回くらいは。

 mixiに遠征してどのくらい経つんだろう。マジで会話が噛み合いません。「このブログ界隈の雰囲気から言うとヒット」な発言をキメても糠に釘っていうか、変なところに食いついてくる感じがどうにも「ディベートに負けたくないからポーズだけ反論する」っていう臭いがあって、お互いに鍛えあうようなスリリングなやり取りができない。やだねぇまったく。

 mixiでは「フニャコって名前でブログもやってるよ♪」みたいなアカウントもあるんだけど、今回は思い切り言いたい放題して(mixiってのは真顔で議論をしようとすると敬遠される)憎まれ役になってやろうと、別アカウントを取得してやっている。
 2chなんかだと「世代」で括ってものを考え、「団塊」を悪役にし、悪口を言いまくる事で日頃の鬱憤を晴らすようなやつが沢山いるので、今回は団塊を名乗ってみた。「来年定年なのでネットでのコミュニケーションと言う比較的安価な趣味を持とうとしてやってきたおとーさん」として、無責任な発言へ真っ向から反論する姿勢をとっている。
 「うわべだけリベラルで、しかし『日本人は』などと一括してものを論じて糾弾する」日本語のできる中国のおねーちゃんなんかがいて、一時は「人間対人間としてお互いに理解しあう努力ができるかな」とも思ったけれども、「『彼女を彼女と思っている僕』対『僕を日本人として一括して括る』彼女」ではあまりにもあまりにもで、話が平行線。飽きた。いくら論を尽くしてもダメ。きっとあの女性は僕を「南京事件」の件で裁くに違いない。悲しい事だ。

■■

 友人が突発性の難聴で検査入院。一緒にバンドをやっていた友人であるわけで、音がなくなってるって、ほんと気が気でない。まぁ、回復しつつあるようで僕が気を揉むほどでもないみたいだけどね。

■■■

 愛車「こぶじめ号」の燃費は13.9km/lでした。軽にしては燃費悪い。でも(出だしは)矢のような加速だから良しとするか。ってか冬用タイヤ買わないとなぁ。

■■■■

 “ V for Vendetta ”観た。
911から何年経ったっけ。僕にはまだ生々しいのだけれど、多くの人っていうか、ハリウッドからいうともう過去の事になっちゃったようで、映画もやっちゃう御時世。
だからなのか知らないけど、テロを肯定しちゃってるってのが「なんだかなぁ」という映画。もうちょっと詳しく言うと「テロへの脅威を理由にファシズム政府ができちゃった英国で自由の回復を狙ってヒーローが反政府テロ行為」という映画。
ナタリーポートマンは相変わらずキラキラと艶かしいのだけれど、う、うーん。僕に対しては説得力はないな。
やはり「ガンジー的テロ手法」以上に過激なものはないね。ガンジーのやった運動こそが、最高に過激なテロだと思うな。

■■■■

 テレビなしで半年が経過。
そろそろ欲しい。TUTAYAで借りるのはいつもDVDで、PCで観てるんだけど、ビデオでしか置いていないものもかなりある。「僕の伯父さん」とか。観たいよー。ってことで、ビデオデッキは実家から持ってきた。あとはテレビだ!安いの買うよ。中古で。

■■■■■
 
このブログのコメント欄で進行中のバルタンさんとジャック・どんどんさんとのやり取りの中に、原田美枝子「愛を乞うひと」の話が出てる。僕も以前に観てショックを受けたんだけど、今になって考えてみるとあれは「子供の視点の鋭さ」というか、「穏やかな顔をしている大人の、完全にはコントロールできない『子供』に対して実はイライラしている内面を見透かしてしまう子供の鋭い視点」の感じているそこはかとない恐怖と通じているんじゃなかろうか、と思ったりする。推測しかできない二重性に対する恐怖って言うかなんていうか。

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カバ園長フォーエバー!!


ああ。
東武動物公園でカバ園長は、幼い僕を抱っこして、母のカメラに向かってにっこりとしていたっけ。園長は覚えていないだろうけど、僕は今でも覚えている。その後も動物公園のCM(だったと思う)に園長が出てくる度に僕は騒いでいた(と記憶している)。
園長逝っちゃったか。
馬場、鶴田、いかりや長介、みんな逝ってしまって。

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東京に


帰ってました。

あっちにいてもこっちにいてもやはり死ぬほど寂しいのです。

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僕が最近ちょっと静かな好青年であるわけ


 只今、非「フニャコ」名でmixi遠征中。
mixi内での「議論」は、大抵の場合長文が敬遠されるほどふやけたものであり、「議論しよう」といいながら議論を放棄しているような感じ。

そこで「非フニャコ」による、“例え稚拙であっても誰かの思考の引き金になれば大成功”というフニャコ-コンセプト(バルタンさんに気に入ってもらえた呼び名では「思考のエロビデオ」)に沿って大暴れを実行中なのである!ATLSで散々揉まれてきた経験は伊達ではないのである!

名付けて「“例え稚拙であっても誰かの思考の引き金になれば大成功”というフニャコ-コンセプト(バルタンさんに気に入ってもらえた呼び名では「思考のエロビデオ」)に沿って大暴れを実行中なのである!ATLSで散々揉まれてきた経験は伊達ではないのである!」計画、略して「フニャコが伊達タンを散々揉むATLS」計画である!

すでに某コミュ(ニティ)を八割方占領。独壇場になってしまっている。
まぁ、元々「長文」レスであるだけで沈黙させてしまうゆるーいものなんだけれども、議論しようとしてくれる人がいる限りには目一杯やるつもりでいる。
特に「風潮に流されてるだけのニセ右翼」をこてんこてんにするつもりである。ちゃんとした論理を持つ「右側」の人には敬意を表すけどね。

ちょっとの間レスとか滞るかもしれません。や、そんなに滞らないと思いますけどね。そう!滞らせないさ!



 今の職場はいい職場なんだけど、まぁ、どこにでもイヤなヤロウはいるわけで、いい職場だけに際立ってヤなヤローでそれはそれで面白い。今日わからないところをそいつに聞いたら舌打ちされた(笑)。社会人になって舌打ちされたのは初めてだ。
取引先の人にも舌打ち&「だぁかぁらぁ!!」と馬鹿扱い。当然僕も馬鹿扱い。よくこれまで社会で生き残ってきたなこの人。多分50代。昆虫系。声小さい。あれでOKなら僕のこれからもOKだな(笑)
 

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不謹慎


 「確かパスカルって浣腸で死んだはずだよなぁ」
と言いつつ、そのおぼろげな記憶を確かめようとネットで調べていたんだけど見つからず。でも見つけた。ツレが。
腸結核の痛みを和らげるために浣腸を使っていて死んだそうだが、その浣腸には何Paの圧力がかかっていたんだろう。と、偉人を摑まえて不謹慎なことを言ってみる。
まさかその圧力が1Paなんじゃあるまいな。
だとするとPa=N(ニュートン)/m^2(二乗ってこの表記でいいんだよね?)だから、m^2あたりにニュートンが一人浣腸かまえてパスカルを狙っている状況が1Paという(以下略)

 朝トイレに行って「わー、でたー」って言う時あるでしょう。
あれは、あのー、ひょっとするとなんだけど、大腸とか直腸とかにある無数にくびれた部分に便が流れ、凹部分と凸部分のそれぞれを流れる時の圧力差が脳に送られ、瞬時に(かつ無意識に)ベルヌーイの定理によって流量が計算されて、その結果出ているところを見なくても「わー、でたー」となるんじゃないか。

・・・んなわけねぇよ。大体その時によって粘度が違うしな。寝る。

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現世にようこそ


 今日は物凄い忙しかったけれども、帰宅と同時に友人Kからメール。
子供が生まれたそうだ。

夕べ、僕は「ラブリーな赤ん坊を抱いている夢」を見て夜中の一時に幸福感とともに目が覚めて「ひょっとしてあいつんとこ産まれたのかな」と“虫の知らせ”であることを期待して「ひょっとして産まれた?」というメールを出していた。
そして今日の午前10時くらいに産まれたようだ。僕がメールを出した時間は丁度てんやわんやの頃だったんじゃなかろうか。
産まれてくる子供からすれば「じゃぁ、そろそろおっぱじめますよ」という挨拶を、このテキトーな小父さんにするのに丁度いい時間帯だ。僕だったらそんなタイミングで挨拶をするだろうと思う。
 この小父さんは何をしてやれるだろうか。両親がどんな高校生だったかこっそり教えることだろうか。お父さんがいつどんな場所でお母さんに交際を申し込んだのかを教えることだろうか。
否。
僕にできるのは、それとなく「お父さんのように堅実でなくても楽しんで人生を送る事ができる」という「こういう生き方もある」例を示すことだ。あとは本人がアレンジすればいい。僕には与えられることがなかったこの「例」を与えるってのが一番いいプレゼントだろうなと、飲みながら思う。

現世にようこそ。正直しんどいけど、楽しくないわけじゃないぞ。

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「革命」について


 今僕は酔っている。ワイン一本あけて、酔っ払いとしての限界を迎えつつある。その「酔っている」と言う事を免罪符にしながら「何か過激な事でも書こうか知らん」と思ったけれども、大して過激な事も思いつかない。僕はその程度なのである。

酔っ払う事が出来る幸福。

ちょっと前まで、翌日を考えて酔う事も許されなかったのに。今はベロベロで、ツレとレスリー・ニールセンのコテコテな笑いで大笑いしながらワインを飲める。幸福だ。場合によっては涙も流せるし、怒りも湧いてくる。幸福だ。今の僕は機械ではない。幸福だ。

 僕が思うに、例えば「革命!」と叫ぶまでが人間的なのであって、それ以降は大して人間的ではない。「革命」に伴う諸々の手続きは人間的なものではないのだ。
「革命」を推進する中心勢力はそのまま「革命後」の在り方を担保するものであろうから、「中心」を作ってはならない。「中心」には、「その後」に於ける利害や権威、権力に対する思惑が絡む。それ故「中心」は機械的な運動をする。血が流れても構わない運動になってしまうのである。
そも「革命」とは、それを起こす主体にとってその国の制度を都合の良いものに作り直す行いの事を言うのであろう。つまり「中心」にとって都合の良い「その後」を作る行いなのである。
本当に「民衆」の為に起こす「革命」ならば、「中心」を作ってはならない。本当に「民衆」のために起こされたものは、何時起こったかも判らず、どこの誰が中心なのかも判らないだろう。そうでなければその「革命」は「誰かの都合のよいように」されたものであり、「民衆のために」起こされたものではないだろう。

■■

 酔っているので突っ込まれてもどうしようもないのでそのつもりで(笑)
ん?「酔っていても言った事に責任を持て」だと?
素面でも責任もてないのに酔ってたら尚更だ!

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近況06/09/16


 食べていかなければ餓死してしまうので、職を探していたけれども、なんだかこう「県内に保証人を二人必要とします」だとか「持ち家じゃないと雇いたくない」とか、面接や筆記試験でパスした僕を雇おうって会社でも「いつ転勤になるか判らない」みたいなそんな事を言い出す会社ばっかりでどうにもならず、結局派遣会社にお世話になることにした。
 ちょっとびっくりしたんだけど上記の「県内に~」みたいな事を言い出す会社よりも派遣のほうが段違いに条件いいのな。ってか不安定だからなんだろうけど。

そんなこんなで、どういうわけか僕の最も苦手とする(っていうか全く経験のない)“技術系”の会社に派遣された。派遣会社側が言うには「先方は、知識も経験も要らないと言ってますので安心してください」だそうで、ほんとに安心して行ったのだけれども。

……んー、待遇は素晴らしいし、人々も気持ちのいい雰囲気で働いている。前の会社に比べると渋い声で「ヘイブン……」と呟きたくなるくらい。
でもさ、オームの法則さえあの中学校で習う“例の図”を思い描いてからじゃないとダメな僕がここに居ていいのか?ほんとか?(笑)
っていうか“例の図”さえ数日前までIとRとVの配置覚えてなかったぞ?いいのか俺で。
 そんな僕が今お世話になっているのは、平べったく言うと水流計とか圧力計とかそういう計器類のメンテ事業をしてるところだ。
水流が一定値よりも少なくなったら警報を鳴らすとか、そういう機材相手なわけで警報のONとOFFをどの位の電気信号に反応させるか、とかそんな仕事が多くこの場合僕の苦手とする「計算」をやらなければならない。あかんて!明らかに人選ミスだって派遣会社!!

 営業とか店舗系とか、純粋に「器用さ」勝負の技術系(ひたすら半田付けとか、配線とか)だったら比較的短期間で役に立つ自信はあるのだけれども、これはどうなんだとすげぇ不安になってきた。

でもまぁ、派遣先も「フニャコ君がバリバリ文系で数字に弱いってのは聞いてるから、まぁ、ゆるゆるやろうよ」みたいな事言ってて今のところ良いみたいなんで、「フニャコ君は計算弱すぎてこの仕事ではちょっと無理だね」というチェンジ要請が出るまで、精々自分の守備範囲を広げようと思う次第。その時に僕が使いモノになってたらそれはそれでOKだしな。生きるって大変だ。

 街って